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Re: 【短編小説】WINS渋谷ルーザー拳

 絶叫し続けて喉から血が出るかと思った。
「差せ!差せよ!」
 おれの隣ではそのままだと叫ぶクソがいる。気狂いか?そんな逃げ馬ある訳がねぇだろ。夢見てんじゃねぇよ。
 おれが買った5番は華麗に差し切った。
 大きなため息ひとつ、興奮のあまり握りしめて皺くちゃになったカードを黄色い自販機に入れる。
 不揃いな茶色い札をポケットに捻じ込み、返却された不要な投票券をゴミ箱に捨てた。
 すでに馬の名前なんざ忘れちまった。
 忙しなく吸った煙草は殆ど味を覚えていないのに似ている。

 えんぴつを転がす。
 サイコロでもいい。道端のクソに好きな数字を訊いたって構わない。
 新馬戦だとか未勝利戦だとかのレースは何度見てもわからないからな。
 血統だとか騎手だとかをいくら眺めていたって馬券は当たりやしない。
 だが当たりやしないが買わなければ何にもならない。徹夜仕事を終えた後の血走った眼で生卵を乗せた牛丼を飲み込み、競馬新聞の馬柱を睨みつける。
 睨みつけるが、何も分からない。

 親の親がどの馬か、鞍上は誰か、調教師は、厩舎は。
 映像、パドック、返し馬。
「そんなもん見て何になる?新馬だぞ」
 頭デッカチの気狂い達が自分のクソみたいな経験と知識でしたり顔を作る。
 当たってんなら今ごろマンションでネット投票してんだろ。できてないから負け組のお前はここにいるんだ。
「あんちゃん、ケンカ売ってんのかい?」
「そろそろ締め切りだぜジジイ」
 ベルが鳴る。
 場外馬券売り場のモニターで馬体重を見てオッズを見て、それでも何もわからない。
 願いと祈りの数列。
 単なる気まぐれだ。
「あんちゃん、後悔するよ」
「懺悔の時間だ」


 ソフトケースから出した煙草は最後の一本だった。
 白い煙草に赤い火を灯す。
 白い煙が出ていく。
 茶色い葉っぱが灰色になっていく。
 薄桜色のマークシートと青灰色の札を黄色い自販機に入れる。
 緑色のカードが出てくる。
 数分後にはゴミ箱に捨てられる。


「もう駄目だ、今日は五千円も使っちまったよ」
 色褪せた野球帽を被ったジジイが独り言つ。おれを殴ったのとは別のジジイだ。そいつはおれに蹴られて泣きながら消えた。
「もう五千円だよ」
 まだ東京競馬場のレースは三つしか終わっていない。阪神と中京にも手を出しているのか?気狂いほどよく馬券を買う。
「ちくしょう、おれの五千円」
 ジジイは誰に言うでもなく、しかし独り言にしては大きい声で「帰るか、帰るわ。今日はもう帰るよ」と繰り返している。
「うるせぇ、次に同じことを言ったら蹴り殺すぞ」
 負けだ、勝てないと泣く呟くジジイは床に座り込んでいた。


 おれはジジイを蹴り殺そうと近づいてはたと止まった。
 おれが将来ああいうジジイになるかどうかは分からない。
 独居老人になる可能性は十分にある。
 それでも色褪せた野球帽はどうだろう?
 いやあのジジイも誰かに貰った大切な帽子を被り続けているのかも知れない。
 そう考えるとますます自分がああなるかも知れない。
「ジジイ、お前は将来のおれか?」
 問われたジジイは首を傾げて五千円と言った。
 おれはジジイを蹴り飛ばして、そいつは数分後の未来のおれかもわからないのに、と考えた。
 笑える話だ。
 笑える話?
 そんなもん場外馬券売り場にある訳がねぇ。あるとしたらそこでハズレ馬券買って前戯こいてるクソみてぇなガキたちだけだ。


 おれはジジイたちに近づいていく。
 これはと決めたリーディング争いの騎手に賭けては負けてを繰り返す。
 昼飯すら食わずにレースを見ていたもののメインの前に負け額は五万近くになっている。
 財布が軽い。
 未来が軽い。
 見えない色褪せた野球帽がおれの頭に被さる。
 おれも帰るべきかも知れない。
 おれはジジイの10倍負けてる。


 ジジイはまだ床に座り込んでいる。
 もう何レースも見送ってメインに賭けるつもりだろう。おれもここで取り返さないといけない。
 馬柱を睨む。
 オッズを睨む。
 何も、わからない。
 薄桜色のマークシートを黒く塗りつぶし茶色い札と一緒に黄色い自販機へ挿入する。
 緑色の小さなカードが出てくる。
 吐き気が込み上げてくる。
 これで負けたら今月は残りを給料日までモヤシ炒めだけで過ごさなきゃならなくなる。


 ファンファーレが鳴り響く。
 野球帽のジジイが立ち上がる。
 喫煙室で一斉に煙が立ち上る。
 モニターの中でゲートが開き馬が一斉に飛び出る。
 白い馬が立ち上がった。
 おれはガッツポーズを隠せない。
 野球帽のジジイは頭を抱えた。
 水色の勝負服を着たジョッキーが乗った馬は綺麗にターフを走った。
 おれは緑色のカードを握り締めで叫んだ。
 拳の中でカードが刺さる。
 ジジイは頭を抱えてしゃがみ込んでいる。
 おれの頭から見えない野球帽が離れていく。おれはあんたみたいにはならない。
 例え独居老人になっても新しい野球帽を買うさ。

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