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半導体製造業の今昔、そして未来へ

 今回は自分の経験や調べてことをまとめて、半導体製造の今昔物語ではないですが大雑把な業界としての流れと、今後起こるであろうことを考察してまとめました。私は経済評論家でもなければ事業戦略の専門家でもないので、あくまで自分の思考をまとめただけです。

自己紹介

 日本の大学でPhDを取得し、日本の会社に就職するも会社の方針転換で一年も経たずに外部に出向し、先行きが見えないため別の日本企業に転職。なぜか転勤族になり西の方に移住。英語を勉強して外資系に転職しVISAをサポートしていただきUSに移住。その後GCを取得しBay Areaの大手テック企業に転職して今にいたります。専門は半導体のプロセス設計です。
 転職に関する自己経験なのどは別のnoteにまとめていますのでご興味がありましたらご参照ください


半導体製造の振り返りと、今後の展開

 今回はメモリー関連ではなく、CPUやGPU、またはマイコンとか言われる分野の半導体製造に関して考察しています。メモリー関連はあまり知見がないので今回は対象外とさせていただきます。
 1980ー1990年代の半導体製造は一部の製造メーカーを除き、電機機器メーカーの部品部門として始まっています。そのため大きなミッションは電機機器に組み込むための半導体チップを製造するでした。そこを起点として半導体の需要や応用範囲が広がり自社だけではなく、他社に向けても汎用的なものを製造販売するという方向性に変わっていきました。
 半導体の微細化が進展するにつれ、工場を維持するコストが問題となり、自社の設計したものだけではなく、他社が設計したものを製造し工場稼働率を上げコスト回収するというビジネスモデルが生まれ、中立を維持しさらに顧客からの受注範囲を広げるというFoundryサービスが生まれました。このビジネスモデルで成功を収めたのがTSMCやGlobal Fundaries(GF)となります。
 彼らは、顧客からの要望や技術開発を進め、半導体素子の微細化だけではなく、パッケージレベルでの集積化も手掛け始めパッケージ集積も受託開始しました。
 さてこれからはどうなるでしょうか?少なからず今後10年はAIが台頭して、これを無視して考えることは不可能です。この動向も踏まえて考察していこうと思います。

1980-1990年代

 この時期、半導体製造業の多くは電機機器メーカの一部門として存在していたケースが多いです。日本の大手電機機器・精密機器メーカーは自社最終製品に使用するための半導体製造部門を社内に持っていました。海外でも一部を除き同じような状況でした。intelは創業時から半導体専業なので、電機機器メーカーの一部門だったことはありません。
 この時代の半導体製造は目的が自社の電機機器や精密機器に貢献する貢献するだったので、全てを自社内でCloseしていました。図で書くとこのようになります。

1980-1990年代の半導体製造

 自社でインフラを持ち、最終製品のSoftwareやそれを使用したServiceまで全て行っていました。なので、半導体製造部門の顧客は自社内のセット部門でした。
 なので、そのセット部門の要望に合う半導体技術を開発し、セット部門の要望に合うような半導体設計環境を整えるというのが普通でした。大きな会社になると自社で設計用環境を開発していたります。

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アメリカSilicon Valley在住のエンジニアです。日本企業から突然アメリカ企業に転職して気が付いた事や知って役に立った事を書いています。