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煙草について。

晴れた5月の朝、ぼくはゴミを出しに行った。すると初老の男がいかにもおいしそうに煙草をくゆらしていた。ぼくは立ち止まって、その光景を眺めていた。男はいくらか怪訝そうな表情でぼくを見た。


ぼくは言った、「ぼくね、外で煙草を吸っている人を見かけると、うれしくなっちゃうんですよ。」
するとかれは訊ねた、「煙草、好きなの?」
ぼくは言った、「ええ。最近はやかましいでしょ。昭和の時代はおおらかだったのに。」
「そうだよな。どこの喫茶店にも灰皿が置いてあったもんだよ。」
「それどころか在来線の対面シートの窓際にだって、ステンレスのボックス状の灰皿が設置されていたでしょ。」
「あった、あった!」
「最近はやかましすぎですよ。屋外喫煙で受動喫煙の害なんてそんなミクロな害をとやかく言うなんてばかばかしい。クルマの排気ガスを大量に吸っているのに。」
かれは言った、「そうだよな!」
ぼくは言った、「しかも、真偽は不明だけど、喫煙者にはコロナ患者が少ないっていう説もあるほど。」
かれはよろこんだ、「いやぁ、きょうは朝から良い話、聞いちゃった。うれしいね~。」



さらに言えば、昭和のフランス料理店は、葉巻室を設けるのが一流の証明だったものだ。たとえば銀座にあったマキシム・ド・パリのように。


もっとも、ぼくが煙草を吸い始めたのはここ3年のこと。きっかけは仲間のインド人料理人たちから煙草を勧められる機会が多かったこともある。また、ぼくはこれまでの人生を一切煙草を吸わないで生きてきたゆえ、いまさら吸ったところで健康被害は知れている。人生の時間は短く1本の煙草のようなもの、香りを楽しんでいるうちにやがて灰になる。デイヴィッド・ボウイもそんなことを歌っていたものだ。また、ぼくは加齢による嗅覚の衰えがいくらか心配で、自分の嗅覚がどれくらいかを確かめたかったせいもある。(ぼくはリムーヴァーも買って、自分がアールグレイの香りを好きなことも知った。なお、ぼくは紅茶を理由なくもう20年も飲んでない。ハーブティを愉しんだ経験ならわずかながらある。)



おもえばぼくが若かった頃、ぼくのまわりに現れた女たちの多くは煙草を吸っていた。秋吉久美子さんや桃井かおりさんが時代を象徴する美女だった。あの頃の女たちは煙草を吸うことで、新しい女であることを表明していたものだ。彼女たちが選ぶのはたいてい細目のメンソールだった。他方、当時のぼくは煙草を吸わなかったせいもあって、女たちとキスをすると、女の唇はやわらかくて苦い味がするものだとおもったものだ。なかにはキスされることを前提に甘い口紅をつけている知恵者もいた。彼女の甘い唇にはビターな味もまた潜んでいた。あの頃ぼくは眠れない夜に、キスした女たちをおもいだし、その数を数えたものだ。あ、この表現はちょっと話を盛っている。年長者の「むかしはモテた発言」はたいていフィクションである。そもそもキラキラな話題しか出てこないモテ話など信じるに値しない。



なお、ぼくの好きな煙草はコンビニで買えるものならば、フィリップモーリスの14。(なお、カプセルつきの煙草の風味も、柑橘系からヨーグルト味まで各種あって一度ひととおり吸ってみたものの、結局飽きてしまった。)専門店で買うもののなかでは、各種BLACK DEVIL。またアールグレイの香りの煙草も好きだ。赤い缶入りのGARAMもインドっぽくておもしろい。カプチーノ風味のイタリア煙草もぼくをよろこばせる。



なお、この話題にむかついた読者のあなたには、ごめんなさい。ぼくだって家の中に喫煙者がいることを不快の感じる非喫煙者の気持ちはよくわかります。部屋は臭いし、レースのカーテンもすぐ黄ばむ。辞書にさえも煙草の香りが移る。(昭和の時代、古本屋に並ぶ各種辞書にはたいてい煙草のにおいが染みついていたものだ。)そんな不快はむかしのぼくも体験したことだから。嫌煙者のみなさんはどうぞ、ぼくのこの私的見解にヨクナイネボタンを押してください。



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