知識の影響を止めて想像
前に
不浄観について|鈴木良実 (note.com)
を書きました。今回は
私たちの知識の影響
について考えます。
前にも書きましたが
死体を前にして瞑想する不浄観
は、摩訶止観などに書かれてた修行法で、日本では平安時代までは、あったようです。さて、この修行が行われた時代を考えると
死体が野辺に捨てられていた
状態でした。従って
実際に死体が朽ち果てる姿
を見ることが出来ました。
さて、私たちは学校教育などで
人体内部構造
を学んでいます。骨格や筋肉の知識、色々な内臓の働きを知り
筋肉痛や胃の痛み
等も、こうした知識の上で理解しています。
しかし、平安時代の知識を考えると
捨てられた死体から体を知る
モノが多かったと思います。確かに、当時でも中国から入った、漢方医療の知識はありますが、それは医者や僧侶などの特権階級の独占です。その結果、大衆にとっては
最後に残る骨
だけに注意が集中したように思います。
このように考えると、江戸時代などに出てくる、怨霊に
骸骨の姿
がでるのも解るような気がします。
私たちは、昔の人がどう考えたか
今の知識を止めて
想像する必要があると思います。
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