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自力他力の区別は変化

宗教の分類に

自力/他力

と言う分け方があります。仏教で言うと

自力の禅/他力の念仏

が一例です。つまり

自分が座禅の修行をして自力で悟る

阿弥陀如来にお願いし他力で救われる

の違いです。

しかし、この分類が、怪しくなってきました。あるSNS上で

「南無阿弥陀仏」と自力で唱えた
これは自力である

という主張を見ました。

仏教に詳しい人なら、これは笑い話でしょう。私もそのように思っていました。

しかし、近頃のIT技術の進化を見ると、もう一つ別の事例が出てきました。

前世紀末の学生
ネット情報を検索しコピペでレポート
これは他力判定!

ですが

現在なら
生成系AIに頼らず
自力で検索条件を考えて検索
これは自力!

と主張しても、ある種の説得力が出てきました。

確かに

メディアの変化で
自力/他力の境界は変化

と言うことを、考える必要があります。

もう少し言えば

メディアの助けを使い
今まで以上に踏み込むのが自力

ではないかと思います。検索ソフトや、IT技術が与える各種情報、これを使いこなして、更に一歩踏み込む、これが現在の人の知恵ではないかと思います。

なお、昔弘法大師空海が、曼荼羅など密教法具をもたらし、それで

今までの瞑想での想像

見える曼荼羅

とした上で、更に一歩進んで、自分心の仏を観る、密教修行を布教したのは、一つの先例だと思います。

自らの中の仏を観る|鈴木良実 (note.com)


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