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多面的な見方から本質を観る

私達は、意識していないが、学校教育などを通じて、西洋文明の影響も、多く受けています。その一つに、古代ギリシャの哲学の影響、特にプラトンの「洞窟の比喩」の影響があります。つまり

私達は束縛され真実を見ることはできない
今見ているものは影絵でしかない

という発想です。これは、マックス・ヴェーバーの「職業としての学問」でも引用されるほど、現在の「科学的思考」に影響を与えています。

しかしながら、日本に育った私達には、大乗仏教などの影響も、色々と受けています。大乗仏教でも

今ある教えは方便

本質を見ていない

という否定的な教えはあります。しかしながら

見方を変える自由

を、私たち認める点が異なっています。

こうした

多様な見方で本質に迫る

発想は使えると思います。

例えば、大日経の十縁生句でも

  1. 「幻」は呪術や薬の効果 すぐ消える

  2. 「陽炎」は人の妄想で生まれたもの 本体は空

  3. 「夢」は覚めれば消える 真言の修行中の感覚も同じ

  4. 鏡に映る「影」は自分のモノではない 修行中に得たつもりのモノ

  5. 「乾闥婆城」(蜃気楼)のような修行成果に執着してはいけない

  6. 色々の「響」は真言に応じて起こる

  7. 「水に月が映る」ように、仏の力が自らに映るが、水中の月を取ろうとすると溺れる

  8. 天の雨が水に落ちて水面に種々の「浮泡」ができる 仏の力は多様なモノ 真言の修行者はこうした自らの心に起こる浄心を観る

  9. 妄想で生じる「虚空の華」を正しく見抜き、空とみる

  10. 闇夜に松明を回す「旋火輪」は輪の形の残像を残す 
    真言行者は真言の効果、観想の効果を、無相の理と悟る

と言う風に、修行中に出てくる、色々な「神秘体験」に捕らわれず、しかも本質に向かうように教えています。

こうした多面的な見方で、影絵を突き合わせ

自分の力でそのものを再構成

する方法は、本質に迫る一方法だと思います。


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