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40歳でのびっくりぽん!;一病息災

食べられることに感謝して

突然ですが、2016年11月腫瘍が発見されまして、年明け手術することになりました。

正式名称は「(左の)聴神経鞘腫(しょうしゅ)」。耳の神経をおおっている鞘(さや)」の細胞が肥大して腫瘍化したものです。

部位的にほとんどが良性なのですが、ちょうど神経が集まっている部位でして、顔面の感覚を司る三叉神経や筋肉を動かす顔面神経、そして音の信号を脳へ伝える聴覚神経があります。今回、腫瘍が三叉神経に当り、左あご下に時折激痛が走るようになったのが発見のきっかけです。

りんごを試食しようと口に入れた瞬間に初めて痛みが走りました。針でも刺さったのかという激痛で、その後みかんを試食した時にも同じような激痛が!

痛み自体は断続的に、急にやってくるのですが、特に何かを食べようとしたときに発生する傾向にあり、徐々に痛みがひどくなり、針でぐりぐりっとえぐられるような鋭い痛みに最初の2日間はほとんど食べることができませんでした。

自己診断で神経系かなと見当をつけ、医師である友人のアドバイスを受け、地元の脳神経内科を受診。MRI画像を取った結果、腫瘍が発見されました。痛み止めの薬が処方されて痛みはほぼなくなり、普段通りの生活を送れることに。

手術は左後頭部の頭蓋骨を切開し、対象部位の腫瘍を除去する外科手術になります。再発しないように腫瘍をできるだけ(95%以上)除去することと、顔面の感覚と運動を司る三叉神経および顔面神経を傷つけないことを二大目標として行います。

逆に言うと、左耳の聴神経に損傷が起る可能性は五分五分とのお話。まぁ、片耳が聞こえなくても、もう片方の耳が聴覚を補うため、運転免許もそのまま更新できるそうですのでまぁよしでしょう。

それよりなにより、安心して食べられることが店主にとっては一大事です。今回食べられない期間を経験しまして、つくづく日々食べられることが代えがたい素晴らしいことなんだと感じました。感謝感謝です。

我が家にとっては、家庭の「主夫」が約1か月いなくなりますので、それはそれで一大事ではありますが、女房・こどもたちが頑張ってくれることと思います。

40になる歳での「びっくりぽん」です。

まぁ、人生の区切りとしていろいろ考える良い時期ととらえ、手術までの健康維持に努めます。皆様もご自愛くださいませ。

手術は延期に!

年末の検査入院の最後の日、検査結果を元にした執刀医と担当医の先生方からの病状説明が。結果、手術の延期を提案されました。

「経過観察でもええよ」と。説明聴いた直後は、「え~っ、覚悟決めてたのに延期ですか~!」って感じでしたが、いろんな方に相談して少し冷静に。

詳細を言いますと、まず腫瘍(こぶ)による耳への障害がほとんどない(左耳が高い音を少し聞き取りにくいだけ)。今回の腫瘍サイズでいくと、平衡感覚にも障害が出そうなのにそれがない。かつ発見につながった痛みも、検査入院の2日間痛み止めの薬を飲まなかったものの痛みが出なかったことから、そんなにしつこい痛みではないとの判断からです。

無理してリスク(片耳が聞こえなくなる、下手すると顔面神経に傷がつく等)を負って手術するより、経過観察して時期が来れば(もっと腫瘍が大きくなる、薬で痛みがコントロールできなくなる、他に障害が出てくる等)、手術をしようという医師の提案です。

(良性で10数年かけてここまで大きくなったという見立てなので、今後どのように大きくなっていくのを観察し、その中で打ち手を考えていくと)

あと聴神経鞘腫よりも髄膜腫である可能性が高くなり、それやと神経を傷つけずに済む可能性が高くなるのも一つの判断材料だったのでしょうか?(髄膜は頭蓋骨の内側を覆っている膜で、その膜が肥大して「こぶ」になったのが髄膜腫です。究極、頭を開いてみないとどちらかはわからないのですが…)

最初の激痛時が主に食事時だったため、「食事と痛み」がセットになってしまい、痛みのトラウマから、食べることを避けていたことを今回自覚。正直食べるのがこわくなっていたんだなと。食事の量も回数も減り、1か月半で4㎏ほどの体重減。

店の常連さんから「やせたね~」とよく言われましたが、あれは病気のせいというより、単に食べてなかったからです。薬の副作用でもともと弱い胃が荒れやすくなっていたのも一因です。

当座、薬で痛みを抑えつつ、定期健診で腫瘍の状況をチェックしていく感じになりそうです。薬の副作用が胃に来るので、薬の種類を変えて様子見へ。

年末年始、特に問題なさそうなら、年明けの健診で正式に手術の延期を決定します。

2016年は主夫しつつの八百屋に加え、言いだしっぺとしてこども食堂の立ち上げに奔走。きっと疲れがたまっていたのも影響したのでしょう。持病持ちとして、あまり無理せず、頭の(中の)「こぶ」とうまく付き合っていきたいと思います。

手術は、子どもらの歳を考えると、みんなが小学生になってからの方がなにかといいですし。店の方も今年で5年目に入り、ちょっと勝負できそうな感じになってきた中、術後、左耳の三半規管が働かなくなり、平衡感覚が狂って頭を振るとぐらぐらするとかで私自身が十分動けないようなら、勝負もくそもないですし。もうちょっと延ばせるならそれもありかなぁと思いなおしました。

検査入院中は、久々においしく食事ができ、トラウマも和らぎ、モリモリご飯を食べられるように。体重も少し増えてきました。

でも、今回の件で本当にいろいろ考えました。「食べること」「いろんな方々に支えられていること」「家族のこと」「いろんなことへの感謝」などなど。ですので、40の節目としてはとてもよかったです。

これからのすず辰のテーマは、「愛と感謝」です。
「愛と感謝」と食を語る八百屋すず辰、今後ともよろしくお願いします。

【余談】説明を聴いた理系研究者の女房の反応。
「本来リスクを取る医師が、待ってええよってことは本当に大丈夫なんだろうなと」。まったくもって冷静です。

前年、八百屋ながら、「はこだてこども食堂~つくってたべよ いっしょにたべよ~」を地域の方々と始め、少し世界が広がった1年でした。八百屋として、地域の大人の一人として、未来を担う子どもたちにできることを今後もできる範囲でゆっくりやっていきたいと思います。

本業では、やっとこ店のHPができました。これを機に、地元だけでなく、日本全体に、すず辰の魅力を発信していけたらと思っています。

お店の紹介パンフ(すず辰マガジン)も完成しました。初めて来店された方、興味を持っていただいた方にまずはパラパラと読んでいただき、来店や宅配セットの注文につながればなと思っています。
(年始のあいさつにお送りした旧知の方から、さっそく3年契約で毎月のご注文をいただきました~!)

「よし宣伝・拡販だ~」と勢い込んだところで飛び込んできたのが、入院・手術です。前厄で発見、本厄で手術か!?、と思っていましたら、詳細な検査の結果、「急いで手術せずに経過観察で行きましょう」との医師の提案に一安心。

人より無理できない身体のようですので、ぼちぼち頑張ろかなと思う年明けなのです。

「蘇える変態」 来た~!

書籍「蘇える変態」。

くも膜下出血と脳動脈瘤から復活した、俳優で歌手の星野源さんの手記。尊敬する大好きな先輩が、年末時点で手術のことを話したら送ってくれました。検査入院中に読破。

(以下、あとがきより抜粋)
『人はみな変態だと思います。人間より長い歴史を持つ動物を生物として「普通」としたら、服を着て着飾ったり、向かい合ってセックスすることを正常位とする人間はもうフェティッシュの固まりだし、みな変態です。つまり、「変態であること、それすなわち人間である証明」なのだと思います。だから、『蘇える変態』というタイトルにも深い意味はありません。ただ、「普通の人が帰ってきた」ということです。
(中略)日本変態協会会員 星野源』

星野源著 『蘇える変態』

「術後吐いてでも食べると、回復が違う。だから食べなさい」と体験者の方に聞き、「きっと点滴で済まさんと胃に食べ物を入れることが生きる力につながるんやろな、(たべものを商売にしている身として)実際どんなもんか楽しみやねん」、と中学時代の友人に話したら、

「吐いたらふつう楽しめへんやろ。でも、おまえ変態やし、きっとなんか感じるんやろな」って言われました。

今回、その体験はお預けとなりましたが、もしその時が来ましたら、「変態、蘇りました~!」いうて、皆さんの前に復活したいと思います。

『蘇える変態』の本文中に、「術後吐いてでも食べる」の話で新しい情報が。 (以下、本より抜粋)

 『看護士に「ご飯たべますか?」と訊かれ「食欲ないです」と答えると、「だいたい、女性は術後1日目からご飯食べはじめますよ」と笑われる。
 「男はみんな時間かかりますからね」
 信じられない。吐き気はすごいし、何よりふらふらして座ることもできない。食欲なんて湧くわけない。さすがに女は強い。』

星野源著『蘇える変態』

「男にしては術後早くに食事を食べた」ってことを目標にできるなと。

年明け最初の営業日。常連の方が新聞広告の切り抜きを持って来てくれました(伊藤忠商事の全面広告)。女優の樹木希林さんの筆。

 『商人たるものからだが資本』
 『ならば時には自分を疑ってみる』

肝に銘じてがんばります!
 

9月がっつり休みます

年末年始に少し騒ぎました、持病をついに手術することになり、やむなく店をお休みすることとあいなりました。

術後問題なければ、10月から改めて開店予定です。1か月ほどご迷惑おかけしますがよろしくお願いいたします。わが身を過信して動き過ぎましたら、痛みが薬でも取れず、やむなく手術と。。。

我が家にとっては、家庭の「主夫」が約1か月いなくなりますので、それはそれで一大事ではありますが、女房・こどもたちが頑張ってくれることと思います。女房の負担が一気に増えますので子どもらの奮闘に期待。父っ子の次男(5)がどうなるか少し心配です。一気に成長するかもしれませんが…はてさて?

発見が40歳と前厄の歳、手術が41歳と本厄です。これぞ流れでしょうか? まぁ、人生の区切りとしていろいろ考える良い時期と思います。皆様のご健康も深く祈っております。

頭の片隅とはいえ、頭蓋骨を開くので術後3週間は入院と言われており、9月いっぱいは休むことになるかと思います。10月ひょこっと開店しますのでご迷惑おかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。
 

二つの友の言葉とひげそりと

7時間に及ぶ手術は無事終了。術後に体験した貴重な経験について。

術後、身体の痛みと慣れない環境に寝つけず、2日目以降も、小一時間寝てはすぐ起きてしまい、そのまま寝られなかったり。

「寝れんかったら治らんやん…」と後ろ向きになっていた4日目の朝。

ふと別件で友に言われた「願望と行動が一致しない人が多い」という言葉が頭に浮び、「あれ、もしかして今の俺?」、とわが身を振り返り。

別の友人に過去に言われた「あるものに感謝を」との言葉を思い出し、あるものを一つずつ確認。

手術は成功、食事がおいしくとれる、愛する家族がいる、左耳は聞こえないけど右耳は聞こえる…すると力が湧き、一歩踏み出す気に。

で、「あ~、包帯ぐるぐるでちゃんとそれんしええや~」と思っていたヒゲをそろうと。そってスッキリした自分の顔を鏡で見て、頭もスッキリ。人間って単純なもんです。

そんな私の顔を見て、主任看護師の方が一言。「調子よさそうですね。もう病棟内、自分で歩いていいですよ」。なにか、いろんなことがいい方向に転がり出した、術後4日目の日曜日でした。

上手くいかないことが重なると人間立ち止まってしまう(後戻りする)ときもありますが、あるものに感謝し、思う方向に向かって一歩踏み出すとがらっと風景が変わるなんてことも。それをつくづく感じた経験でした。
(※北海道新聞コラム「立待岬」より)

術後3日間は、ささやかな回復(立てた!、トイレに自分で行けた!、リハビリが始まった!などなど)を素直に喜び感謝できたものが、元来寝ないとどうにもならない人間が4日間も徹夜・半徹な日々が続くとどうにもこうにも後ろ向きになり。

でも、これじゃあかん!、とヒゲをそったら、上記の「病棟内解禁」に始まり、頭をおおっていた包帯(というかコルセット)も外れ、頭も軽くなり。

さらに点滴の付属器具が電動式(コンセントに刺さっているので動くときはいちいち引き抜かないといかず、かつ重たい)から、ただの鉄の棒になり身軽に。

そして昼のリハビリ後、療法士の先生から「病院全体を自分だけで歩いていいように看護師さんに許可出しておきますね」と完全な自由を得る! 朝、へこんでたのがウソのように1日で事態が一気に改善。

「ひげそり」というささやかな一歩が大きく効いた一日だったなぁとしみじみ思ったそんな日でした。

そうそう、二人の友人に感謝!(もちろん愛する家族や皆々さまも!)

母との再会

入院中、仕事で一週間ほどいない女房に代わり、子どもらの面倒を見に大阪から来た母(まもなく70)。

来函初日、空港からそのまま見舞いに来た帰り際、「もうこれで来ないと思うから」と息子に握手を求める母。

一回くらいタクシーで来るのかな?、と思っていた私が甘かったです。

こんなあっさりな母に育てられれば、そりゃ付き合った当初、彼女に「幸せなら手を叩こう、って言葉があるやろ!」と怒られますがな。

久々に「母」に出会った息子でした。
原点回帰です。

ありがとう君がいたから

(退院前日のベッドで打ち込んだ文章です。長文ののろけですがご容赦を)

☆病気がわかった直後、「東京や大阪でいい先生探した方が…」、と珍しくあたふたと心配する女房。

数日後、主治医の先生の話をいっしょに聞くと至って冷静に。もう少し心配されてみたかった気も……。

☆店を休むので、病状説明を関係の皆さんに。皆さんからの心配の声に女房からツッコミ。「腫瘍とか書くからダメなのよ。内耳の奥から”こぶ”が飛び出たって書けば大したことないじゃん」

いちおう頭蓋骨開けるんですけど…理系女子強しです。
※海悽哺乳類の生態学者です。

☆痛がっていると、当初心配するものの、そのうち、「死ぬほど痛い?」と訊いてくる女房。

発見当初の痛みが連続すれば、死ぬほどやけど、それに比べれば…と痛みを冷静に分析することを学ぶ私。痛みって相対的なものなんですね。

☆手術前日、全身麻酔の説明で、研究者ならではの知的好奇心が炸裂。麻酔医の先生と、動物と人間の麻酔方法の違いについて盛り上がる女房。

楽しそうやな、君。
※研究でトドやアザラシに麻酔をかける機会があります。

☆手術当日。手術室に入るところで、
 「じゃあ、行ってくる」と私。
 「いってらっしゃい」と女房。
 「あら、あっさり」と看護師さん。

 そして7時間後、目覚めた先に女房の顔。
 「ただいま」と私。
 「おかえり」と手をとる女房。
 「なに ちち ねてるんさ~!」と保育園から連れてこられた次男(5)。
 「じゃあ、明日ね」とあっさり上の子を迎えに行く女房。

☆発熱と痛みとで、寝るに寝られず迎えた翌朝。アドレナリンも終息、どっと疲れが出た私。そこに女房来る。
「ほんと、つかれたわ~」と手を伸ばすと、手を取り少しマッサージしてくれる女房。

その5分後、「じゃあ、行くね」と仕事へ。
「えっ」て顔をすると、「また明日顔出すから」と女房。

で、ほんまに翌日5分だけ顔出して仕事に(笑)。
※忙しいのです、はい。

ただ洗濯物を持っていってくれて少し感動。入院前、「コインランドリーあるから自分でやる」と言っていた。

☆週末に土日と続けて子どもらを連れてきてくれる女房。

術後二週目の週末の土曜、仕事で疲れているのか、ボ~としている女房(調査で1週間船に乗ってました)。労いの意味で肩をもむ私。

私がちょっと痛がると、「まだ痛いんだ」とささやかながら心配してくれて。

翌日曜、すっきりした顔でまた子どもらと来た女房。帰りがけ子どもらをぎゅ~と抱きしめて見送ると。なぜか娘と戻ってくる女房。

娘が忘れものをしたようで、なんやと笑うと女房と目が合う。はいはいと最後に女房ともハグ。背中とんとん。

☆退院の3日前。次男の保育園のサッカーの応援に一時外出。自分で運転して帰るというと、「迎えにいこか」とやさしかったり。

リハビリをかねて自分で運転しました。

あれ、「洗濯ものは?」と言われたので、「ちゃんと(病院の)コインランドリーで洗ってるから大丈夫」と返すと、「そっか」と微笑む女房。

「退院の日、私が支払いに行くから」というから、「えっ来てくれるんや?!」と思ったら、カード払いでマイルが貯めたいからだったり。

子どもらと留守番ありがとう。
明日から改めてよろしくです。

そだ、入院中は君の名字だったので、君のパワーにあやかって回復してやる~!、と思ってました。そこも感謝。

(※鈴木は旧姓使用です。戸籍上は女房の姓なので、病院では女房の姓で呼ばれていました) 

あしたのあしたのあしたのあした

長男と次男が5歳と3歳だったころ。
まだ1週間の概念がわかっていませんでした。

「きょう」と「あした」の意味を長男はしっかりと、次男はぼんやりと理解し始めました。

なので、(長期出張から帰り)久々に家にいる母親には「あしたもいる?」「あしたのあしたは?」と質問。

「あしたのあしたのあしたのあした……」と延々と続くのですが、そこで長男が編み出したのが「なんかい ねたら?」という質問。

家族旅行にて、「あと なんかい ねたら、おうち もどるの?」といった感じです。

出張続きの母親のことを思い、
「あとなんかい ねたら はは かえってくる?」とよく訊かれました。

息子よ、6回寝ると、保育園は1回お休みです。

そんなことを思い出した退院数日前。

「あしたのあした、父は家に帰ります。長い留守番ありがとう」
  

ぼちぼち参ります

ざっと術後の状況を。
 腫瘍 ほぼ除去
 左顔面 感覚神経 維持
 左顔面 運動神経 維持→マヒあり→3ヶ月から半年で戻る予定
 左聴覚 失う(想定内 右耳が頑張っています)
 左平衡感覚 維持(めまいがなく助かりました)
 三叉神経痛 たまに少し痛む→時間とともに落ち着く予定

というわけで、左耳が聞こえなくなりました。対面してお話しする時は良いのですが、左後方から話しかけられた時に反応が鈍くなる場合がありますのでご容赦ください。

顔面も、左側の動きが悪く、淡々と話をしている分にはわかりづらいですが、思わず笑うと、右の顔だけ表情が出て左が能面になってしまいます。ぱっと見、コワい印象を与えてしまうかもしれません。年度中には元に戻るという医師の見立てなのでこちらも少々ご容赦ください。

身体の方はやはり疲れやすいです。感覚としては、脳みそが身体の操縦を下手になった感じでして、退院後すぐでいうと、地面の細かな凹凸に対し、身体のバランスを取るのが下手だったり、強風で簡単にふらついたり。

今まで無意識にやっていた身体の動作を、いちいち意識してコントロールしている感じで。病院内と外の世界では目に入ってくる情報量が桁違いで脳みそがその情報処理に手いっぱいになるといいますか。
(随分ましになってきましたが)

自動車の教習所に通っている人が、仮免許でいきなり路上に出て、面食らってうまく運転できないのとちょっと似ているかもしれません。

正確に言うと、身体が疲れるのでなく、脳が疲れるんですね。まぁ、反復練習で改めて脳に身体の操縦方法を学んでもらうしかないかなぁと思いますので、本当に仕事がリハビリです。ただ少々動きが緩慢なときがあるかもしれませんが、そこらへんは温かい目で見守っていただけますと幸いです。 

患者目線から見た医療現場への改善案

約7時間に及ぶ手術のあと、全身麻酔から覚めた私。女房の顔にほっと一息。「ちち なに ねてるんさー!」と突っ込んできた次男(5)の声に脱力。

そんな中、最初に感じた痛みは右のお尻でした。左耳のすぐ後ろ側頭部の頭蓋骨を開けての手術だったのですが、痛かったのは「頭」でなく、「お尻」。

どうも、手術部位を上にするため、ず~っと身体の右側を下にした横向きの状態で麻酔で寝入っていたときに、お尻の一点に体重が集中的にかかっていたらしく。まるで手術でかまぼこ板でも移植されたかのように筋肉が固まり、少し動かすと激痛が。ついでに右わきも軽い床ずれで痛みがあり、術後1週間寝るのに困りました。

左耳裏が手術跡なため、左を下にして寝るのは頭が痛く、で元気な右側を下にすると今度は身体(わきとお尻)が痛い。じゃあ仰向けに、とすると、どうも頭の左の手術跡が突っ張ってやはり痛みがあり。突っ伏して寝るのもいただけず。。。

「どうやって寝れいうねん!」って感じでした。

お尻の痛みは徐々に取れて行ったものの、術後3週目の退院時点で、少~しだけ痛みの芯が残った状態。退院後、歩道の凸凹にふらふら歩く日々の中、軽いぎっくり腰になってしまったり。

なかなかに悩まされました。右わきは退院後2週経っても触ると軽く痛みがあり、皮膚にダメージがまだ残っています。

41の歳でこれですから、これが70代とかの手術だったらば、もしかしたらそのまま寝たきり…なんてことも、と想像してしまいました。(まぁ、寝たきりはおおげさですが)。

手術中は手先が狂わぬよう、麻酔し身体は固定されるわけで、「しょうがない」部分はあるのですが、「寝返りを打たなければ床ずれ」になるは常識なわけで、途中体位変換をするなり、整体の先生など身体のプロが手術中にサポートに入って、術後影響の出ないよう改善できないものかと思ったり。

治療の大きな山は「手術」なわけですが、その時の「影響」が予想以上にその後の回復に影響を与えるって部分を視野に「手術」の方法が変われば、術後の退院期間が短縮したり。他にも患者視点で気になることがちらほら。

患者視点で見直せば、もっと医療はよくなる気がするのですがいかがでしょうか?

片耳あるある

【①音源の位置がわからない】
右耳しか聞こえないと、向き合って話す分には支障がないものの、病院の待合室で名前を呼ばれても、誰から呼ばれたかわからず困ってキョロキョロ。

※左右の耳に音が届く微妙な時間差で位置を感じとるらしく、片耳だと音の方向がわからず。目覚ましとか暗がりではてんでわからない!
片目だと距離感がわからないのといっしょですね。

※このせいで「音の厚み」とか「立体感」を感じられない、とかあるのかしらん、とちょっと思ったり。娘が吹奏楽をやっていますが、両耳の時と、片耳の今と、聴いている音楽の質が変わっているかどうかは謎です。(ちょっと興味あり)

【②音の取捨選択が下手】
音源を距離や方向で感じ分けることができないため、結果どの音も平等に耳が取ってしまいます。(通常、必要な音とどうでもいい音を無意識に脳が取捨選択している)

あと片耳だけで音を取るので、守備範囲が広がるのでついつい(聞こえる)耳が頑張ってしまい、いらん音までとってしまう。

なので、複数の人で会話したり、騒がしい場では会話するのは苦手です。音がかぶってしまって打ち消し合ったり。

聖徳太子なんて絶対無理です! 
(一度に10人の訴えを聴き分けたとか)

【③音の死角がある】
聞こえない耳の方で話されても頭蓋骨を挟むので聞こえが悪い。

私の場合、左耳が聞こえないので、運転中助手席で子どもが何かつぶやいてもまず聞こえない。

「そっちは聞こえへんから、もっと大きい声で言うて!」と子どもには言っています。聞こえない耳の後ろ側の音は特に聞こえづらく、「音の死角」となります。

※音の方向性がわかりづらく、聞き取りづらい位置があるので、たまに気づかないときがありますが、無視しているわけではありません。店の冷蔵庫内にいるときは、ほぼ聞こえていません。ご来店の方はあしからず。

【④基本聞こえるので…】
基本片耳が聞こえるので、大きな支障はないのです。が、苦労する部分もあり、ご理解いただければ幸いです。

うるさい場所や、複数の声が飛び交う職場は厳しいでしょうね、きっと。それでいくと、店が繁盛してしまうと大変!!(笑)
 (※障碍者認定も受けられないのです)

【⑤残りの耳が聞こえなくなったらどないしよ~】
片耳で負担がかかって…という話もあり、一抹の不安はあります。その時はその時。筆談や身振り手振り。読唇術(口の動きで言葉を読む術)でも憶えますかね。

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