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はこだてこども食堂をやってみて


こども食堂 やってます


店の隣にある函館市本通町会館にて、毎月第3木曜日に「はこだてこども食堂」をボランティアの人たちとやっています。テーマは「つくってたべよ いっしょにたべよ」。毎月、子どもらといっしょに料理をして、温かい食事をみんなで楽しんでいます。

「こども食堂」というと、世間的には「孤食や貧困」との関連で報道されがちです。問題の根っこは、地域の大人が地域の子どもの成長を見守りづらくなっている今の社会状況にあるように感じています。もし本当に食べるに困っている子どもが目の前にいたら、多くの人が手を差し伸べるはずです。(実際、はこだてこども食堂をやるに当たり、多くの方から「子どもたちのために」と有形・無形の援助をいただいています) しかし、現代は見た目にはわかりづらい状況がありますし、そもそも普段接点のない子どもに大人がいきなり関わろうとした瞬間、「不審者」扱いを受けかねない状況があります。

まずは地域の大人と子どもが自然と関われる場として、こども食堂があれたらいいなと思っています。関係ができれば、子どもたちが何か問題を抱えた時に、親御さんとは別の、第3の(信頼できる)大人として子どもたちをサポートすることができます。お腹を空かせていたら、いくらでもおせっかいをやけますし、友達のことで悩んでいたら話を聞いてやることができます。人間、人に話を聞いてもらうだけで問題が解決するってこともあるものです。(初恋の悩みなんてことも?)

そして、いろんな年代の子どもや大人と関わることが子どもたちにとって良い経験として、いろんなことを学んでくれる場になっていったらなとも思っています。核家族化が地方でも進んでいる今、子どもたちは人と関わる経験が不足しているのでは?、と心配になるときがあります。人間は「人のあいだ」で育ってこそ人間として成長するのだと思うのです。

細田守監督のアニメ映画「サマーウォーズ」の登場人物、栄おばあちゃんの言葉にこんなのが出てきます。(映画はぜひお子さん・お孫さんと観てみて下さい)

『一番いけないことは お腹がすいていることと 一人でいることだから』

人間、お腹がすいていると力が出ません。そして、精神的に一人でいると気力がわきません。ゆるやかに地域の子どもらの成長を見守っていけたらうれしいなと思う、八百屋の親父です。

食堂でもなく料理教室でもなく、やはり「こども食堂」です


函館で「こども食堂」をつくろうと(2016年の)年初から徐々に動き出していましたが、(北海道新聞のコラム「立待岬」に)「こども食堂」+「こども料理教室」と書いたり、「こども料理教室」の要素が強くなるかなと書いたり。

我ながら言葉の選択が大ざっぱで、既存の「食堂」や「料理教室」という言葉のイメージが先行するため、読んでいる皆さんに誤解が生じてないかとモヤモヤがありました。

『こどもたちと いっしょに料理を作って いっしょに食べ いろいろ話し 遊び その中でこどもたちが 料理含めて いろんな経験から学んでくれるような場を作りたい』ってだけなのです。

「こどもたちにまずは食べさせたいの?」(支援)、それとも 「こどもたちに料理ができるようになってほしいの?」(教育)と問われ、「うーん、どっちも?」と、我ながら欲張りなことを想い、さらに混乱。

「食堂」として、不特定多数の方に食事を提供するとなると、飲食店営業の許可が必要になってきます。そのためには保健所で検査を受け、飲食店として必要な衛生環境をちゃんと維持・管理できる環境にあるかが第一に問われます。そうなってくると、そもそも「こどもといっしょに料理する」なんてありえません。人様にお金をもらって提供する料理を子どもに作らせているってだけで、飲食店失格、「食堂」として失格となりそうです。

じゃあ「料理教室」は、ってなると、こちらもちょっと違うのです。別にいわゆる料理教室、クッキングスクールのように、こどもらを前に講師がいろいろ話しながら実演し、授業さながらに「包丁の持ち方」・「出汁の取り方」・「みそ汁の作り方」とカリキュラムを組んで、教えたいというわけでもないのです。

「いっしょに料理作る中で」、はじめての子には包丁の持ち方をしっかり教えはするでしょう。慣れてきた子には、「肉じゃがに使うから人参乱切りで切っておいて」とお任せするかもしれません。さらに「今日の出汁取りは○○ちゃんがやりました。おいしいでしょ」って、みんなで拍手する日が来るかもしれません。

そんな悠長なことやってないで、本当に困っている子にはまずは「食べさせないと」とのご指摘も重々わかります。なにも全員に最初から料理をいっしょにやってもらおうとも思いません。

とにかくゆっくりしてもらって、あったかい食事をいっしょに食べてもらうがスタートの子もいるでしょう。食事まで遊び倒してがっつり食べるという子もいるでしょう。学校の勉強を誰かに見てもらって、それからでないと次に動けない子もいるでしょう。それもそれ、全部ありです。

そもそも「困った子集まれ~」なんて思っていません。(語弊がありますが)

というか、「食べるに困った子、一人さみしく食べている子集まれ~」と言って、どれほどの子が来るものでしょう。それよりも「いっしょに食べよ~、楽しいよ♪」と広くいろんな子が集まる方がいいですし、見守る大人もいろんな人がいるのがいいんです。(あまりに困ってない子ばっかりでもそれでいいんかい、って話もありますが)

先日、店に野菜を届けてくれた佐川急便のお兄さんが、「(新聞の)記事見たよ、オレにできることがあったら言ってね」とすごく自然に言ってくれました。男性から言われたのははじめてだったのでとてもうれしかったです。(※間違えました。他にも言ってくれた方がもう1人。さらに市の職員さん方を入れるともっと)

世の中、いろんな人がいるんです。いろんな人が同じあったかい料理を囲んで食べるからいいんです。そしてその中心にこどもたちがいるんです。

別に「食堂」がしたいわけでも、「料理教室」がしたいわけでもありません。ゆる~くていいので、こどもが安心してあったかいものを食べる場をつくる。そこで、遊びや勉強やお話をいっしょにする。その一環に、いっしょに料理をするができる場。そして欲をいうと、こどもらが料理をするって力を身に着けてくれたら。

そんな思いです。それって「家庭」といっしょじゃん、と言われればそうですね。でもそれこそ、私がしたい「こども食堂」です。

まぁ実際問題、「人に食べ物を提供する」のか、「いっしょに料理して食事を食べる」のかという見え方の問題で、保健所さんには「飲食店」か「料理教室」かと区別されるかと思いますが、あくまでやっぱり「こども食堂」です。

と、ここまで書きましたが、あくまで現時点での私の想いです。実際は、いろいろと形にする中で、落としどころが変わってくるかもしれません。これからいろんな人と関わり、そして実際にこどもらとかかわる中で変わっていくこともあるかもしれません。

ただやりたいのは「こども食堂」だ、と改めて当たり前のことをすっきり思えた朝だったのでつらつらと書いてみました。
            2016年2月13日(土) 早朝に 鈴木辰徳

食べるものを作る喜びを


「こどもの貧困連鎖」の実態を追った本を読んでいて、子どもが料理をできない前提になっているのが気になりました。親御さんが仕事に追われ帰宅するのが20~21時(それ以降の場合も)。その間、子どもは出来合いのものを買って食べるか、最悪ただただ空腹を抱えて待つのみです。

また、学校に持っていくお茶もペットボトルを購入。水だしの麦茶パックを買えば50パック入りで数百円。1本百円以上するペットボトルを買うより断然安いのに、親御さんが時間に追われ、時間がお金に変わっていってしまいます。麦茶を作る、ご飯を炊く、味噌汁を作るを子どもが出来たらどんなにいいかと思います。

保育園の行事でもちつきのお手伝いをした時、楽しそうにもちをつき、お母さん方がこねたもちに喜んでいた子どもたちが忘れられません。自分たちが作ったものをみんなで食べるってとてもすてきで楽しいことなんだと思いました。

手前味噌と言う言葉があるように、味噌も昔は各家庭で作っていました。大豆と塩と麹を買って一仕込。釣りも大事な素養かもしれません。(店主は恥ずかしながらあまりやったことがなく)最低限の道具があれば食べ物が手に入るのです。お金があれば何でも手に入ってしまう世の中で、自ら手間暇かけて食べ物を取り・作る経験を、できるだけ子どもたちにさせたいなと思っています。

「こども食堂」、5月より本格開催です。いっしょに食べる楽しさといっしょに作って食べる楽しさも子どもたちに伝えられたらと思います。そのうち、農家さんのところで収穫体験?!、と夢は広がりますが、まずは地道に月1回開催より。

いっしょに食べる力


5月・6月と「はこだてこども食堂」にて、子どもたちといっしょに食卓を囲みながら、たくさんの人と「いっしょに食べる力」というものを感じています。

家では食べなかった野菜を「こども食堂では食べられた!」、と子どもたちが教えてくれます。普段は「にんじんが…」「いもが…」と毛嫌いする我が子らも、こども食堂では肉じゃがをペロッと平らげお代わりしたり。

自分たちが削ったかつおぶしを使っているからおみそ汁がおいしかったという感想もあり、自分たちで作ったからというのも理由としてありますが、それだけではないようです。たくさんの人たちといっしょに食べるからこそおいしく食べられるということが大きそうです。

大人も、一人で食べる食卓は味気なく、気の合う仲間と囲む食卓は、会話と共に食も進みます。お酒も一人では缶ビール1杯でお腹いっぱい。しかし、人と飲めばなぜかどんどん杯が進みます。

大人たちにとっては子どもたちの笑顔が何よりのスパイスになり、おいしく食べられ、そして合わせて子どもたちからパワーをもらったりします。

初夏から、北海道ではバーベキューが真っ盛りとなりますが、知り合いの方を誘ってはいかがでしょうか。もっと「いっしょに食べる場」が増えると社会全体に元気があふれ、いろんな問題がなくなりそうだと思う今日この頃です。 (※北海道新聞「立待岬」より)

やさしさと自主性と


去る2月15日(木)は、第22回はこだてこども食堂でした。常連のスタッフさんが4人ほどお休み。人が手薄な中、気になって店と会場の町会館を行ったり来たり。16時半過ぎには店を閉め、会場に向かいました。

会場に入ると、ホールの片隅にあるストーブ前で固まり動こうとしない三人娘を発見。
 「そんなところに固まってないで、はよ手伝い」
 「だって寒いもん」
 「何もせんで食べるつもり?」
 「そう」
 とやり取りしたものの、動く気配のない子どもたち。とりあえずほっとくことに。

自分の息子らを探すと、長男(7)は調理をせず、みんなの輪から外れて黒板を一人消している。
 「料理せえへんの?」
 「しない!」
 「何しに来てん! ほら、○○したらいいやん」
 「やだ!」
 「そんなんやったら、もう来月来んでええわ!」
 と売り言葉に買い言葉。次男(6)もうろちょろしていたので、手洗いに連れて行くと、水が冷たいとギャーギャー騒ぐ。で、そこですねてしまい、これまた「何もしない」と言い出す始末。「ほんま二人とも来月からもう来ないでええの?」と思った父。

そんな中、1歳ほどの男の子が急に泣き出しました。お母さんがちょっと離れたところだったので、さてどうしたものかとちょっと見守っていると、先ほどストーブ前に固まっていた三人娘がその子の周りに。

どうあやしていいのかわからず、でも近くで「大丈夫だよ~」と呼びかけるように見守る姿に、彼女らのやさしさを見た思いがしました。そして、お母さんが来て泣き止んだその子を見た後は、「私らもやる~!」と桜餅づくりを自然と始める三人娘。

ぐだぐだだった息子たちも、長男はスクラブルエッグを、次男は桜餅を楽しそうに作っていました。その後も、他の手伝いを見つけて自分から動く息子たち。子どもそれぞれにペースがあり、あまり大人が先々考え、ガミガミ言うものでなく、見守る余裕が大切だなぁと改めて思い、反省した店主なのでした。

そうそう、いつもは好き嫌いを言い小食の次男。ケチャップライスが気に入ったようで、3杯もお代わりし、スタッフさんに褒められご満悦。翌日、「あのごはん つくって!」と要望し、家でもペロッと完食したのでした。
 

門出を祝う

3月15日、店の隣の本通町会館にて、はこだてこども食堂の年度最後の回でした。一昨年の5月から始めて23回目。はじめて小学校を卒業する子が出るため、食事前に簡単なお祝いをしました。学年が一番上ということで、いつも下の子どもらの世話を焼いてくれ、率先していろいろお手伝いしてくれた子たち。中学になると部活や行事ごとでなかなか参加できないかもと聞いたので、区切りとしてお祝いしたいなと。

ボランティアスタッフの寄せ書きを書いたメダルと花束を準備。それぞれを渡す担当を小1~小4の子らに頼みました。頼んだ子らまで興奮。「え~、いつ前に出るの?」「私、だれに花たばわたすの?!」と大興奮。(こらこら、6年生にばれるやん!)

いつもなら「いただきます」で始めるところ、「学校を卒業する6年生をお祝いしたいと思います」と卒業する3人を前に呼ぶ。何も聞いてなかった3人はびっくり。さらに「せっかくだから、ひとこと言うてもらおっか?」と言うとさらにびっくり。

さらに最初にあいさつした子が、見事なスピーチを披露。おじさんびっくり。残りの2人の同級生もびっくり。(えー、こんな話ムリ~!!、と顔で訴えてました)

半分腰を浮かして、自分らの出番を待っていたメダル組を呼ぶと飛んできて、でも渡す相手を決めてなくて少々混乱。小6と小4では頭一つくらい背の差があって、お姉さんなんやなぁとしみじみ。

次なる花束も、もらう機会は人生でこれまでなかったようで、「めっちゃうれしかったです!」と帰りがけに言われました。 

3年目のこども食堂


毎月第3木曜日。はこだてこども食堂の開催日です。月1回、店の隣の本通町会館で、子どもらと一緒に「つくってたべよ いっしょにたべよ」を合言葉に、わいわいがやがや。2年前の5月から休むことなく続いています。

先日9/20(木)の第29回はうれしいことが3つありました。

まず一つ目。この春、中学生になり、クラブ活動などで忙しかったIさんが久々に兄弟を連れてやってきてくれました。立ち上げ当初からの参加で、5-6年生の頃は、率先していろいろ手伝ってくれた子の久々の参加。顔見知りの子どもたちから囲まれ、手を合わせて再会を喜ぶ姿にほっこり。スタッフ一同うれしいやら、成長を感じるやらで、これまたほっこり笑顔。

そして2つ目。立ち上げの年にスタッフとして動いてくれていた高校生のYくん。いろいろあって定時制高校に通っているのですが、「高卒認定試験(昔の大検)」の合格を報告してくれました。目標とする仕事も決まり、それに合わせた進学先も決定。あとは試験結果を待つのみ。時間が少しできたので、卒業まで顔を出してくれそうです。

3つ目。地元の魚屋さんが子どもたちのために、と、新鮮なマグロとホッケを持ってきて、子どもらの前でさばいてくれました。かぶりつきでプロの包丁さばきを見つめる子どもたち。お目目キラキラ。マグロのお頭を見て、「(頭に)かぶれそう~」とつぶやく子。最後の方は、大人の方が目を輝かしていたかも笑。

人生で初めて、刺身を食べたという男の子も。参加していた長男も意外や意外ペロッと食べ、「食べられるんや~」と言うと、「だってばぁばの家でたべたことあるもん」との回答。子の成長を意外な場で知る父でした。

3年目となったこども食堂。5年生が中1に。年長さんが小2に、子どもたちがどんどん成長していく様を見られ、うれしい限りです。地元の方々とのつながりも広がって、今回のような「マグロのプチ解体ショー」も開催されたりと、支えてくれる皆様に感謝感謝です。

こどもの心を守る感染対策を


本通町会館で毎月開催していた「はこだてこども食堂」ですが、コロナ禍で通常通りとは行っていません。地域で陽性者が多く出ている時期はお休みしたり、会食は控え、外遊びや接触の少ない遊びをしてみたり。冬場はソリ遊びも。毎回、開催の可否をスタッフで話し合ってきましたが、この度少し覚悟を決めました。

国立成育医療研究センターの社会医学研究部・こころの診療部を中心としたグループ「コロナ×こども本部」は2020年11月~12月に実施した「コロナ×こどもアンケート」第4回調査の全体報告(全国のこどもや保護者あわせて4629名が回答)をまとめ、小学4年生以上の15%~30%のこどもに中等度以上のうつ症状があったと報告されました。小児科医と教育員会がタッグを組み、検討会議を実施している富山市では、「ゼロリスクを求めることは子どもたちの心に蓋をし、健全な発育を阻害する危険性が高くなる」と「できる限りの「日常」を!」と「子どもの心を守る感染対策」を推奨しています。(富山市立学校 新型コロナウイルス感染症対策検討会議より)

コロナ禍で「はこだてこども食堂」にくる子たちも半分くらいに減っていますが、いろんな行事に制限がかかる中、子どもたちが「こども食堂もダメなんだ…」とショックを受けることのないよう、できる限りのことはしたいと思っています。

コロナ禍で「みんなで食事」がなかなか難しくなっていますが、子どもらの様子を見ていると、物理的な栄養を摂るだけでなく「心の栄養」を摂る場になれているのかなと思ったりします。コロナを理由にお休みするのは簡単ですが、何等か続けられたらなというのが正直なところです。

本来新型コロナの対策も地域の感染状況に合わせ適当なラインがあるはずです。もちろんスタッフの平均年齢が高いことは考慮しないといけませんが、その結果として「よりリスクを低くする」ことのみを考えてしまうと子どもの活動を制限し、結果子どもたちの心を守れなくなるかなと思っています。

感染予防と子どもの心を守ることの2本立てでバランスを取りつつ、工夫しながらやっていきます。つながっている子どもらのことを考えてささやかながらできることを。

互助・共助の輪を


こども食堂のお話をさせていただくときに、最近いっしょに話すのが「自助」「互助・共助」「公助」の話です。

「自助」は「自ら助く」。人として、「自分の責任でやるべきことをする」といったところ。一方の「公助」は、いわゆる「行政サービス」としての、市や道、国等「公の助け」。この二つだけだと世の中うまく回らなくて、間に「互助・共助」としての、「互いに共に助け合う」がもっと必要だという話。

必要だというよりも、本来は「自助」があって、次に「互助・共助」があって、そこが発展してきて「公助」が整ったのが歴史的な流れかもしれません。

農村社会が中心だったころは、農作業という共同作業があり、そもそも治水や村の年中行事等、村というコミュニティを維持・発展させるためのつながり・助け合いがあったわけで。それが近代化して、地縁も血縁も薄れてきた中、「隣は何をする人ぞ」ってことで、つながりもなく助け合いもなく。結果、「自己責任」という名の下に、「自助」の範囲が拡大し、無理が生じていると。

こども食堂を始めたきっかけの一つに、「子どもの貧困」のことが頭にあったわけですが、これも「どの子が困っているかわからない」という現状があり、そのために助ける気があっても助けられないと。それならば、「知り合い・つながる」ところから始めようと今に至ります。つながった子どもがもし食事に困っていればそりゃ助けますし、家族のこと、友達とのこと、学校のこと、勉強のこと、恋のことなどなど悩みがあれば聞いてやれますし。

「互助・共助」のためには、お互いに知り合うというところがまず大事やなと思います。

卑近な例で行くと、春、次男(6)が溶連菌に感染し腎炎になったとき、「1週から2週の入院でつねに付き添いがいる」となったとき。「自助:店を休んでつきそう(売上が飛ぶ)」、「公助:ファミリーサポートを利用。ただし午前・午後と人が替わり、1日8時間で6400円かかる」の2択!、と思ったとき。「互助・共助:頼れる人がいる!→昼間のつきそいをお願い」となり、めちゃ助かりました。

人とのつながりは財産です。

こども食堂をやってみて


『世界中の、同じように「何かをはじめようとしてきた」方々が「はじめたらなんとかなるよ」という発言をしていたんです。自分のやりたいことをはじめちゃえば、それで半分は終わりでしょ、ということを、心に留めるようにしました。「Well begun is half done.」という言葉があります。――ライさんが『ライくんとジョシくんの夢の学校をつくるお話。』
(ほぼ日手帳2017・2・28の小話より)

2016年に始めた「こども食堂」が正にこんな感じでした。年初、北海道新聞の夕刊のコラム「立待岬」に「こども食堂がやりたいです」と有言実行を誓ってみたら、多くの人たちの応援の声に後押しされ、あれよあれよと5月に開催。そして今に至ります。

こども食堂をやってみて、なんかこれって政治や社会と似てるのかもなぁ~と思うことがあります。想いだけで金も人手も場所もなかった私が、「こども食堂やります!」って地元の新聞コラムで書いてみたら。人・もの・金が集まってきて、予想以上にできるようになり。

その時の集まり方が、金があるけど暇がない人は金を出し(毎月振り込んでくれる方もいます!)、「時間は作れる!」って人がスタッフとして参加し、「物は出すよ~」って人(農家さん・肉屋さん・魚屋さん・米屋さん、味噌屋さんなど)は物を出し。それぞれができることを出し合って、協力し合って。

で、参加する子どもや保護者も、子ども100円、保護者500円(2019年より300円)の参加費を出し、その場を楽しむ。(万が一、お金が厳しい子が来た場合はタダにしようと思っています)店頭で募金してくれるお客さんも多く、月8千前後の寄付が集まります。本当に有難い限りです。

寄付金や食材で、結果運転資金は溜まっていて、ちゃんと子どもたちのために使わないとなとつねづね思います。ある意味、寄付金や会費で集まったお金は「税金」みたいやなぁとも思ったり。

皆が幸せになるために集まったお金で、そのために如何に有効に使えるかが問われていて。 毎月の活動でいろんなことが起り、スタッフで話し合いをするわけですが、人それぞれ考え方に違いもあり、見てきたこと、経験値、取り組みへの考え方等々。リーダーは器を試されるなぁ、と高々ボランティア活動で沁みているこの3年ちょいです。

違いはあれど、その思いをちゃんと汲み取って、それぞれの想いをまとめてみると、予想以上の力になり、それが子どもらのためになる。

「こども食堂やります!」と希望を社会に投げかけてみれば、あれよあれよといろんな方の協力で続いている現状を想い、いろんな課題が山積みの日本も、旗の振りようでどうとでもなりますし。その旗のもと、いろんな人が協力し合えればめっちゃいろいろのことができる!、ってのが実感ではあります。

というわけで、政治には期待しちゃうのです。

ほぼ日手帳が梱包されていた箱にこんな詩が。

 希望というのは、本当に大事なものだから、
 絶対になくしちゃだめだよ。
 指先のほんのひとつまみの塩が、
 料理の味をすっかり決めてしまうだろう?
 希望は、その塩なんだよ。
  『セフティ・マッチ氏の炉辺談話』より

 Don′t never lose hope. It′s far too important.
 You know how a pinch of salt.
 Changes the whole flavor of a dish?
 Your hope is that salt.
 ―Safety Match′s Fireplace Chat

いま必要なのは、「ほんのひとつまみの塩」という名の「希望」なのかもですね。

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