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むかしのはなし

私は人から昔話を聞くのが好きなほうです。
特に祖父母と同じ年代(大正から昭和一桁生まれ)の方の話は興味深いです。
小説やドラマほどドラマチックじゃないけど、でも十分ドラマがある。
それだけ苦労をされた方が多いということなんですけど。

自分の中の後悔として、祖父母からもっと話を聞いておけばよかったと思っています。
親戚から聞き齧った断片的な話しか知らない…。
特に、戦争にまつわる話は、ドラマ仕立てのフィクションよりも、実際に体験した人の話がリアルで興味深いです。

先日、とある女性の昔の話をお聞きしたのが印象に残っているので、記録のために書き残しておこうと思います。

その人は私の長いお客さまで、お互いの家庭環境とか、プライベートなことも知る仲です。
お年は82歳。ひ孫もおられる立派なおばあちゃんですが、私の中では、子供さんが成人して手が離れた、元気なおばちゃんのまま。
実際、すごく元気で、いつもスタジオの最前列でエアロビクスや筋トレのレッスンを受け、プールでもガンガン泳いでおられます。
夏にちょっと大変な怪我をされたけど、持ち前の負けん気でリハビリを頑張って、もうレッスンができるくらいまでには復活してらっしゃる…。
すごい人です。

お名前をSさんとします。

Sさんが早くにご両親を亡くしたというのは聞いたことがありました。
この度、よくよく聞くとお父さんは昭和20年に中国で戦死されたそう。
お父さんはSさんをことのほか可愛がっていたそうです。徴兵されてから、出征前に今の岡山大学で面会できることになって、Sさんも見送りに行ったということでした。
ドラマでよくあるシーンと同じで、持ってきたお弁当を家族で食べているなかを、
床に届きそうなほど長いサーベルを持った兵隊さんが見回っていたそうです。
子供心に記憶に残る光景だったようです。

お父さんは遺言を残されていて、自分が相続する田畑は全てSさんに渡してくれと言い残されました。
Sさんは、お母さんとおじいさん、おばあさんとで田舎で畑仕事をしながら幼少期を過ごします。
お父さんの遺言では、Sさんが大人になるまでは再婚はするなということだったそうですが、田畑の維持のためにお母さんは再婚することになります。
新しいお父さんが来て、二人の間に双子の妹が産まれますが、まもなくお母さんは病死。
新しくきたお父さんとまだ小学生のSさんでは乳飲み子の妹を育てられないため、妹たちは乳児院に預けられます。
時折、乳児院に面会に行っていたそうですが、そこはカトリック系の施設だったようで、お世話をしてくれるひとはシスターだったそうです。
継父と暮らしているSさんを心配したシスターが、早くに独り立ちできるようにと、乳児院の手伝いをしながら保母の資格を取れるように計らってくれ、Sさんは家を出て乳児院で住み込みで働くようになりました。
(のちに継父も再婚し、Sさんとは血のつながりのない妹がもう一人できたそうです。)

高校卒業後、保母として働きながら、お見合いで結婚。
女のお子さんを一人授かりますが、1歳の年に風邪をこじらせて亡くしてしまいました。
それを機会に保母の仕事を辞め、新聞配達と内職で家計を支えながら二人のお子さんを育てます。
子育ての合間にママさんバレーをしたりしながら、アクティブに過ごされていたみたいです。

お子さんたちが巣立ったあと、近所にできたスポーツジムに入会して今に至りますが、私と知り合ったころはご主人は病気で介護が必要になっていました。
自宅でずっと世話をしてらっしゃいました。随分と長い介護だったと思います。
その間、お孫さんを家で預かって、家から高校に行かせたりしていて、生活する上で、お孫さんと喧嘩したりしている話もよくお聞きしました。
何年か前にご主人を送り、一人暮らしになりました。
一人だからね、夜、無性に寂しいのよ、と仰っておられます。

ご両親は早くに亡くなり、血のつながりのある妹たちとはお父さんの遺言で相続することになった田畑のことが原因で揉めて絶縁、連絡は一切取っていないそうです。
「私は家族との縁が薄くて…」
そう仰ってはいたけども、娘さんもお孫さんも、ちょくちょく顔を見せに来てくれるようなので、全然そんなことはないと思います。


グッとプライベートで生々しい話でしたが、普段はそんな話をすることはほとんどなくて、日々の暮らしにまつわる雑談をしているだけなんですけどね。
Sさん自身も何か思うところがあって聞かせてくれたのかな、って思います。

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