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失われた時を求めて生きることなど。

本を一冊読み終えたら次の本を探し求めるべく本屋さんへ出かけるのを習慣としているのだけど、今回はなかなかそのタイミングに恵まれない。なんせここ数年の間に贔屓にしていた本屋さん3軒のうちの2軒が立て続けに閉店してしまい、最後の砦だった職場の最寄駅前にあった書店もとうとう来月半ばに閉店するとの知らせが店頭に貼り出されていた。日常の中でふらりと立ち寄ることのできる本屋さんがいよいよ全滅する。この先わたしはどうやって生きていけば良いのだろう。

そんなわけで本屋に辿り着けない日々が続き、いよいよ背に腹はかえられなくなって自宅の本棚の中からかつて読んだ一冊を読み直すことにした。基本的にわたしは一度読み終えた本を再読することができなくてめったなことでは読み返さないのだけど、今回めでたく「めった」な事態を迎えることとなった。
自宅の本棚に縦横無尽に積み重ねられた本の中から適当に一冊引き抜いて手に取ってみる。ああこれ知ってる。(一度読んでいるんだから当たり前だ。)たしかあんな内容だったよね、と確かめるべく適当にパラパラと頁をめくってみると隙間に何か紙片が挟まっているのが見えた。なんだろうと抜き出してみる。するとそれは美術展のチケットだった。
「横浜美術館開館20周年記念展 束芋 断面の世代」
券面にはそう印字されていて、2010年2月の日付が刻印されていた。
その券面を見た途端、展覧会のシーンが一気によみがえってきた。展示室の広くて薄暗い空間。その中で時折蠢く束芋さんのインスタレーション。作品の動きに連れて揺れる仄暗い光と影。弱い反射光に浮かび上がる展示ケースのシルエット。
日常生活における記憶の保持能力はおよそ心許ないというのに、こんな些細なきっかけで完全に埋もれていた14年前の記憶の断片が鮮やかに蘇ってきたことにちょっと驚いた。そうだ、これがかの有名な「紅茶にマドレーヌ現象」だ。そんな呼び名ではないと思うけど。

そこで「失われた時を求めて」よろしく感傷に浸りつつ1ページ目から再読を始めたのだけど、どういうわけか内容にまったく覚えがない。読み進めても読み進めても覚えているエピソードが出てこなくて徐々に不安になる。本の装丁やタイトルには見覚えがあるし、外観にはかなりのスレがあるのは一定期間持ち歩いていた証拠。それに何より展覧会のチケットがはさんであったのだから必ずや一度は読んでいるはずなのに、もしかしてパラレルワールドにでも迷い込んでしまったのだろうか?


こんなにも新たな気持ち(記憶)で読み直せるのなら、ずっと食わず嫌いしてきた再読もありだな。失われた時を求めつつ。



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