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弟帰る。

弟が数十年ぶりに帰ってきた。
彼は高校卒業後アメリカへ留学し、そのまま30年以上の年月をアメリカで暮らし続けてきた。
弟がアメリカで何をして生計を立てて暮らしていたのかをわたしはよく知らない。
本人に訊いたところで話を盛るし、悪いとは言わないけれど少しポジティブ過ぎるし、話好きだからいったん話し始めると止まらなくなってしまって面倒くさい。わたしはアメリカについては良く知らないけれど、少なからずあの性格がアメリカで暮らす上で功を奏していたのではないかと思う。あるいは彼の地で培われてきたものかもしれない。

そんなわけでとにかく弟と直接話をするのは面倒くさいので、わたしは両親から様子を聞くことで彼の情報をアップデートさせてきた。
そして先月実家へ帰った際に弟の帰国日が決まったことを両親から聞かされたのだ。

そもそも最初に弟の帰国説が浮上したのはコロナ前のことだった。出て行ったきりちっとも帰ってこなかったあの弟が帰ってくる!弟帰国の知らせに我が家の正月(正月のことだった)は色めき立った。しかしその後弟はやり残したことがあるとかなんとか理由をつけては帰国の予定を何年も先延ばしてきた。”帰る帰る詐欺”の被害者となった私たち家族はいつからか彼の帰国に期待するのをやめたのだった。しかし今回の帰る宣言は、具体的に日付まではっきりと指定してきている。今度こそ帰ってくるのだろうか。ようやく帰ってくるみたいだね、本当なのかね、家族は半信半疑だった。

果たして弟は帰ってきた。今度こそ間違いなく予告通りの日に日本の地へと降り立った。彼は空港からわたしにもメッセージを送ってきて、今着いた、明日には実家に帰ると知らせてきた。やれやれ今度こそ本当に帰ってきた、とひとまずほっとした。
わたしもちょうど忙しい時期だったのでそのまま日々に追われていたのだが、彼の帰国から1週間ほどが経ったある日、そう言えば弟が帰国したあと実家から一度も連絡がないことに気がついた。さっそく実家に電話をかけてみると母が電話口へ出た。挨拶もそこそこに弟の様子はどう、と尋ねると、母は「まったくいるんだかいないんだか・・・」といつものように愚痴をこぼした。しかし普段であれは何事も語尾まではっきりと物を言う母が珍しく言葉尻を濁した。濁された言葉尻には喜びや安堵の思いが滲んでいて、弟の話題になれば必ず「あの親不孝者が」とカッカしていた母もやはりこの日を待ちわびていたのだと感じた。

電話の向こう側で母が弟を呼んでいた。
わたしは弟が電話に出たら”久しぶりに日本へ帰ってきたんだから姉に電話の1本くらいくれてもいいんじゃないの”と嫌味の一つでも言ってやろうと待ち構えていた。ところが弟の「もしもし」という実家からの第一声を聞いたら「おかえり」の一言が勝手に口をついて出ていた。

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