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「ガラケー型」と「スマホ型」を比較する   拡張性の違いで考えてみる


私が初めて携帯電話を持たせてもらったのは、中学2年生だったと記憶してます。両親や兄たちが使っているのを見て羨ましく感じていたのと、友達たちが連絡をとっていて羨ましく感じていたのをよく覚えています。

主に友達とメールをしていたのですが、人とのメールってこんなに楽しいのかと夢中になっていました。嬉しかったし、楽しかったです。

着メロを設定したり、待ち受け画面を設定したり自分なりにカスタマイズしていけるところも夢中になった要因の一つだったと思います。懐かしい・・・。

当時は「ガラパゴス携帯」、通称「ガラケー」と言われる携帯でした。(車に備え付けのものや肩にかけるやつは衝撃でした。)

ガラパゴス諸島
ガラパゴス諸島は南米エクアドルの領土で、本土から西に1000kmいったところに位置し、面積$${10km^2}$$を超える主要な13の島々と100以上の岩礁によって構成されている。 総面積は約$${8000km^2}$$。
絶海の孤島で動物種の行き来がなく、様々な生物がそれぞれの進化を遂げその島に残っていることが特徴。

そんなガラパゴス諸島のように、IT技術で独自の進化をしながらも国際規格と異なっている状況をガラパゴス化と言うようになり、その流れで日本独自の機能を盛り込んだ携帯電話は、国際的な規格からかけ離れていることからガラパゴス携帯と呼ばれるようになりました。

ガラケーは元々プログラミングされて中に入っているものしか使えませんでした。
でも当時はガラケーで十分に事足りていて満足していました。高校3年間もガラケーを使用していたのでとても思い入れがあります。

大学生の時に初めてスマホに乗り換えるのですが、それもまた衝撃でした。

「スマホ」は「ガラケー」と違い、「アプリ」をダウンロードすることでその端末でできることを増やしていくことができました。

人によって好みが異なるように、人によってダウンロードするアプリも異なっていました。そんな中で同じアプリを持っていたりすると話が弾んだり・・・。

「ガラケー」と「スマホ」、両者の間には「できるようになること」に違いがあり、「拡張性」が大きく異なります。


「ガラケー」は一部ダウンロードできるものもありますが、機能としては基本的に最初にプログラミングされたことのみで拡張性はあまりありません。

「スマホ」はアプリのダウンロードやアップデートを通してできることが増えていき、拡張性があります。

「勉強」を「何かを調べて理解して、自分で判断できるようになること」、「人ができることを拡張していく作業」だと考えて、これを無理矢理ですが人に当てはめてみると「ガラケー型の人」と「スマホ型の人」とに分かれるかななんて考えたりします。

「ガラケー型の人」、「スマホ型の人」とではどちらが幸せになれる確率が高くなるのだろう・・・(どちらがいいか悪いかなどではなくて)

個人的には後者の方が幸せになれる確率は高くなるのではないかなと感じています。

これだけ変化の激しい世の中ですし、自分がよりよく生きる上で必要となるキーワードも長く生きれば生きるほどたくさん遭遇すると思います。

「難しいことはよくわからない」と言ってアップデートのチャンスに向き合わないのか、「その度に向かい合って調べて自分をアップデートする」のか。

積み重ねていくと両者には、新たにできるようになることの多さという点で差が出てきて最終的には「人生の満足度」で大きな差が出てくるのではないかと感じています。(個人的に将来、自分が死ぬ直前に、自分の人生を振り返ってみてやり切ったなと思える過ごし方をしたいなと考えています。)

人間何歳になっても新しく何かできるようになることは「楽しいし、嬉しい」と感じています。(子どもだけの特権ではないです。)

「ガラケー型」、「スマホ型」は生来決まっているのではなくて、自分の意思一つで何歳からでも変えられるものだと思っています。

「難しいことはわからない」とアップデートをはねのけてしまう人は勿体無いなと感じます。(気持ちは分かるのですが・・・。)
何歳になっても自分をアップデートしている方は老若男女問わず素敵だと感じます。

年齢が上がるにつれ、前者の方の割合が多くなるような気がしています。変化を好まなくなる傾向があるのでしょうか・・・。

何歳になっても、後者でいられるようにしたいと感じる今日この頃でした。

ご覧になっていただき、ありがとうございました。



サポートしていただけたら、実験用具を買うか、実験用の薬品を買うかまだ決めていませんが、生徒さんたちと授業のために使いたいと考えています。