見出し画像

#187 マイノリティの感情 出会い直しと結び直し

どうも、こんにちは、チンパンジー先生のボクです。

10代~20代の若者を支援するコミュニティで出会ったA君と久しぶりに話をした。

初めて合った時のA君は20歳だったが今は28歳。
よく私に疑問をぶつけ、何かと食ってかかってきた。

発達に課題はあるもののIQが130もあって知的レベルは極めて高い(平均は90〜109)

知識量や語彙の豊富さは平凡な私よりもはるか上をいっていて弁も立つ。

納得できないことに感情をあらわにしたり、時には攻撃に転じる傾向が強かった。

「教員なのに、そんなことも知らないんですか!」といった具合だ。

A君は自己の立ち位置をマイノリティとし、私のことをマジョリティと位置づけ、「マジョリティのあなたに何が分かるんだ!」といった物言いが多かった。

彼は自分の論理を信じながらも、一般には通用しない脆い基盤の上に立っていることを自覚してもいた。

自分の対局にいるマジョリティに怒りや悲しみをぶつけなければやっていられないと思っているように見えた。

最初は、私のことを何か変えてくれる存在だと思ったのだろう。

でも、何も変わらない状況に苛立ちや不満を感じたのかもしれない。

実際のところ、私は彼の思いを量りかねていた。

私は何ひとつ、ああすればいいとか、こうすれば生きづらさが和らぐんじゃないか、といった支持的な提案はしないようにしていた。

何度めかのグループワークの後、初めてA君と個別面談した。

集まった若者達10名ほどと2、3人の支援者で設的なアイディアを出し合っている最中、A君は誰の意見に対しても常に攻撃的・挑発的だった。

いつも彼の思考は同じプロセスを辿っていた。

私は何とかしようと思って、面談に誘った。

いきなり彼は言った。

「マジョリティはいつもマイノリティを多数派社会に上手く取り込もうとしている。
どうせこの面談もそうなんでしょ。
どうして、そんな差別と偏見に満ちた世界観に迎合しなきゃいけないんですか!」

あの時のメモを読み返してみると、私は次のようなことを話したのだろう。

「確かに、君が言うこちら側(多数派社会)の人間には歪んだ部分もあるし、大小様々な偏見と差別がそこらじゅうにある。
いわゆるカジュアルヘイトのように無自覚な差別発言が多い。
良くも悪くもSNSによって社会の歪みが露呈している。
そもそも、“ あちら側 ” とか “ こちら側 ” というカテゴリー分けすることにどれほどの意味があるのだろうと思ってるよ。
君とオレは同じ枠組みの中で生きているんだから・・・・」

「そんなのは欺瞞だ!」と叫ぶA君。

メモに結論めいた所見は書かれていない。
ただ「支援継続」という文字があった。


5年ぶりに会ったA君は、随分と穏やかになっていた。

極めて普通(?)の青年になっていた。
「普通」という言い方も嫌いなのだが・・・・

言い回しは、相変わらず難しかったが、彼の言葉を再現しておこう。

「すでに多数派がいる一般社会や特定のコミュニティで使われている固定化された概念や言葉が、多くの人々の思考をも固定化させているんですよ」

多数派が主導するインクルーシブとかダイバーシティとは一体、なんなんだと考える。

一見すると、両者が融合し、多様性(ダイバーシティ)を受容し、包摂(インクルージョン)しているようだけど、互いが思っている落としどころにズレがある。

マイノリティの当事者であるA君自身、マジョリティとマイノリティという対立軸があって「戦わなければならない」という思いにかられて常に武装していたと言う。

「そうか、常に戦闘モードはきつかっただろう?」

「いいえ、僕はマイノリティの代表者だと思って、どんな意見も論破しようという気概だけで生きていたので、ツライとかキツイという感情はなかったですね。
今は非武装ですよ(笑)」

彼は過去を振り返り「自分で自分を差別していた」とも言った。

マイノリティはみんなそうだとは思わないが、20歳の頃の彼の様子と現在の様子を比較すると、あのとき私が感じていたことと符合する。

彼は彼で自分を差別していた。
私も心のどこかで彼を差別していたのかもしれない。

自己の発言や思考を多数派社会へ受け入れてもらうための闘争?

発達に何かしらの偏りやこだわりがあると、確かに差別や排除は起こりやすい。

多数派だって、みんなデコボコがあるのだけれど。

10年前から見ると社会の状況は変わってきていることは確かだ。
障害者差別解消法があればそれでいいとは思わない。

状況は変わっていくのだろう。
変わらなければならない。

コミュニティや社会環境自体が抱えている歪みは今も間違いなくある。

そこに向き合えるよう是正すべきことや越えていくべき課題はまだたくさんある。

どんな人も、「環境」と「出会う人」によって変わることは間違いない。

ただし、支援者は相手を変えてやろうなどと思わないほうがいいと改めて感じた。

それは、マイノリティとかマジョリティとか関係ない。

A君との出会い直しは、心の結び直しでもあった。

帰りがけに2人で食べたラーメン(彼のおごり)の味は格別で、なんだか心が救われた思いだ。

ありがとうA君。

It's my secret identity.

使用した画像は、すべて画像生成AIによって生成した「世を忍ぶ仮の姿」の私である。