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#168 読書日記32 アルジャーノンに花束を

『アルジャーノンに花束を』ダニエル・キイス

最後の最後に切なくて切なくて、感動という表現とは別な深さを感じた。

読んだのは1989年。
ボク、高校教師としてまだまだ純粋で多感な29歳だった。

ドラマや映画にもなっているけれどそちらは観ていない。

あえて似た作品をあげるなら、ジョン・トラボルタ主演の『フェノミナン』か。

エリック・クラプトンの『チェンジ・ザ・ワールド』を聴くと条件反射で『フェノミナン』を思い出し、そして紐付けらているかのごとく『アルジャーノンノに花束』を思い出す。

改めて『アルジャーノンに花束を』を調べてみると、1959年に中編小説として発表され、翌年ヒューゴー賞短編小説部門を受賞。
1966年に長編小説として改作され、翌年ネビュラ賞を受賞。

自分が生まれる前に世に出ていた作品であることを今になって知った。

長編小説の邦訳版は1978年に出版され、私は1989年の改訂版を読んだわけだ。

サイエンス・フィクションとして描かれていた物語が、科学技術の進化によって今や実現していることもある。

生成AI隆盛の今日、私たちはさまざまことに期待感を持ち、そして不安も抱いている。

さらなる進化の先には喜びもあれば悲しみもあるに違いない。

文学は未来に対する予知性や感受性を備えている。


SF小説という括りだけで論じることのできない人間ドラマである。

知能が低かったチャーリイは手術によってIQ180超の天才になる。

チャリィは、知識を得ることの喜びや難しい問題を解くことで心が満たされていく一方で、知能が低かった時に自分が周囲からどんなひどい扱いを受けていたかを理解するようになり、物語は徐々に悲観的な方向へ向かう。

突然に急成長を果たした天才的な知能と、幼い子と変わらない未発達な感情とのアンバランスに揺れ動くチャーリィ。

自尊心の高さ、高慢さによって自分の周りからどんどん人々が去り、かつて経験したことのない孤独感を味わうことにもなる。

高度な知能に翻弄され愛や優しさを失ってしまったチャーリィが唯一泣いたのが、実験用モルモットのアルジャーノンの死である。

チャーリィの分身のような存在だ。

最後の一文で胸が締め付けられ、この小説のタイトルと、そこに貫かれているテーマを理解した。

知的障害につきまとう知能と感情・情緒の問題をどう捉えるべきか、考えるきっかけになった作品である。