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「ある日、突然活動がバズった・・・!」からの3年後。

こんにちは、子どもが教える学校の鈴木です。
今日は私の心の整理のために記事を書きたいと思います。何回かに分けた記事になる予定です。3年前に夢中になって立ち上げた子どもが教える学校、それがここ最近活動が低迷しちゃっていることについて書いてみようと思います。

2020年3月。会社員を独立して3年ほど経った頃、私の活動はある日バズった。突然訪れたコロナ禍、学校に行けずに家でゲームばかりしていた息子に、何か親としてできることはないかな、と思っていた矢先・・・

個人的にずっと温めていた企画「子どもが大人に授業したら面白いじゃん」っていう企画を立ち上げた。みんなに会えずにうずうずしていた時期だから、オンラインでみんなを結んで。子ども達の考えってすごく面白くて刺激的だから、子どもが大人に授業する企画を立ち上げようって思い立った。その企画を、2~3年前から考えていたネーミング「子どもが教える学校」と名付けた。

子ども向けの企画ってやったことなくて、
どんなデザインがいいかも分からずに手探りで作ったサムネイル画像

当時の私は、会社の社長さんや起業している方に、頭の思考整理サービス「ヒモ解き」を仕事のメインにしていた時期で。この仕事は、新規の方をストップして全身全霊で子どもが教える学校の活動に注いだ。

日本全国中の学校が休校になったあの時期。前代未聞の事態だったから、全部ボランティアで活動した。活動していく中で、たくさんの子ども達に出会い、私の思いはふくらんでいった。その思いを何とか形にしたくて、無償のサービスなのに、コストをかけて立派なホームページまで作ってもらった。

採算度外視とはまさにこの事、でも本当に心から楽しかった。夢中だった。

左上が私 めちゃ楽しそう・・

子ども達がZOOM越しに話してくれる「好きなこと」「思ってること」「考えていること」の授業は大人たちの心をゆさぶった。コロナ禍でもこんなに熱い場所がある、子ども達の熱量に私もつき動かされて10社ほどのマスコミ各社に私も熱いPR文を送った。

そしたら、それがバズった。

TVや新聞の取材が立て続けにはいった。SNSに投稿したら多くの方々がシェアをしてくださった。会ったことのない方からも熱いメッセージが届いた。私の人生の中でも最大のバズりだった。

コロナで外に出られない、人に会えない(さらに・・・当時の私は全治2カ月で脚を骨折中で)そんな不自由な時期に人生最大に人とつながるのが不思議でたまらなかった。人生って意識次第だ、そう思うと可能性を感じてワクワクした。

その後、出版させていただいたり、TVの中での特集で長期取材をうけたり、雑誌掲載などが立て続いた。そんな華やかな側面を私もSNSにつづっていたので、活動のファンの方には記憶に新しいものもあると思う。

そのひとつひとつの活動や成果が、わらしべ長者のように、私の中では数珠つなぎに全てつながっていた。ひとつずつ着実に前に進んでいけば、提供しているプログラムが全国の小学校に導入される日もくるかも~そんな夢を描いたりもした。

しかし、活動を始めて2年ほど。順風満帆の裏で、少しずつ陰りが見え始めてきた。

静かにスピードがダウンしていった。あんなに夢中で行っていた活動に、だんだん手足が動かなくなっていった。あんなに躍動していた心も、かつてより静かになっていった。

活動を以前のように再開しようとしても、以前ほど心が躍動しない。その一方、新しいことをやろうとしても、過去の私との首尾一貫に欠けるような気がして、ストップがかかる。前にも後ろにも進めないようなジレンマ。

なんでだろう・・どうして止まっちゃったんだろう・・理由はいくつか思い当たる。でもまだ私も認識できていない、言葉にならない思いのほうが大きい気がする。

だからこそ、このnoteの場を借りて、私自身の気づきのために、何回かに分けて書いていこうと思う。

断っておくが、決して誰かのせいではないことを前置きしておきたい。

読んでいただきありがとうございます。 鈴木深雪


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