6日間のグループ展で学んだこと🎨
クリスマスも終わり、あっという間に2023年もラスト。
気がつけば抽象画のグループ展から1週間が過ぎた。会期中にギャラリーで過ごした6日間はとても幸せな時間だった。
くわじ先生を含む、抽象画をともに学ぶ9名のお仲間とのグループ展。今年の春から絵画を学び始めたみんなの作品60点が、所狭しと飾られた空間は、エネルギーに満ち溢れていた。
たくさんの方が訪れてくださり、絵を一点一点見ていってくださった。
足を運んでくださった方々、本当にありがとうございます!
何から書いていいのかちょっと迷うけれど、あの6日間のこと、忘れたくないから記録しておこうと思う。レポートというよりは、私個人の人生の1ページの記録。
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今、パソコンに向かいながら、ギャラリーにお越しくださったお一人お一人のお顔を思い出し、この文章を書いている。
年末のお忙しい時間をぬって、来てくださったおひとりおひとりに感謝しかない。
起業当初を共にした仲間から、ヒモ解きに来てくださりゆっくりとお話を伺ったことのある方々。
そして、子どもが教える学校の生徒さんや保護者、活動を応援してくれる方々から。
そして、最近のサレンダープログラムを通じて出会い&再会した方々まで。
ちょっと大げさだけど「いろんな時代」の私を知る方々が来てくださった。それがとってもうれしかった!
そして、年の瀬ということもあって、みんながそれぞれに今年あった近況、来年に向けた抱負みたいなものをギャラリーでお話くださる。
それは、年末のごあいさつ場さながらで。
普段、仕事の中心はオンラインだし、1人時間をこよなく愛してついつい一匹狼を気取ってしまう私だけどこういう「場」を作るのは、本当に大好きだったことを思い出したよ。
人の情熱に触れるのも好きだし、その人たちを繋げることも本当に大好き!
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そして、写真を見てお気づきのように、私は着物をまとい、ギャラリーに毎日立った。
気分は、なんだか喫茶店のマスターにでもなったみたいでね。入れ替わり立ち替わり来てくださる顔ぶれからいろんなことに気づかされた。
本当に不思議なことが度々起きた。
同じ時刻に訪れるお客さん同士には、初対面にも関わらず、偶然のご縁があったり。
あるお客さんとの話が一段落すると、次のお客さんがタイミングを見計らったように訪れたりとか。
すべてがグッドタイミングで、すべてが最適なキャストで仕組まれ、進んでいく「演劇」のような毎日だった。
時に、誰もいらっしゃらない空白の時間があっても、その時間は一緒にギャラリーに立っている仲間同士で深い話ができたりね。
毎日ギャラリーに立ち続けることで、「全部ちゃんとつながってる」って思えた。
毎日せわしく生きているけれど、ギャラリーという場に立ち続け、絵が飾られている静寂の場に居続けることで、すごく「つながり」を感じられた。
私はこういう優しい世界の住人だったことを思い出した。
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繰り返しになるけど、ギャラリーには9名の抽象画がずらっと飾られていて。誰かが懸命に向き合った絵が60枚も飾られている空間は本当に圧巻だった。
そのエネルギーが味方してくれたのかもしれない。会期中の6日間で、私に大事なことを思い出させてくれた。
その場に身を置くとシーンと騒がしかった思考が収まる。
自分の中心点にすっと戻れるような感覚になる。
絵の設営をした日。私たちはあまりの居心地の良さに夜になってもギャラリーから動けなかった。
ずっとその場にいたいと思わせる何かがそこにはあった。
それはどこか懐かしい感覚でもあって、茶道のお茶室で感じるそれととっても似ていた。
そして、それは運営側の私たちだけでなく、訪れたゲストの誰もが「この空間は心地いい」と言ってくれた。その感覚を多くのみんなと共有できたのがとにかくうれしかった。
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そんな風にエネルギーがみなぎる展覧会だったんだけど、絵の経験歴でいうと、くわじ先生以外の私たちはみんな半年前に抽象画を書き始めたばかりで。
でも、絵の放つエネルギーに経験年数は関係ないのかもしれない。
だって、そこに込められているのはその人自身が放っているエネルギーだから。
何度か投稿にも書いているけれど、抽象画って正解がない。具体的なモチーフを描くわけではないので、上手、下手といった指標も抱きにくい。
私たち生徒は、その世界観に夢中になって、半年間絵を描き続けたという共通項を持つ。
それぞれに、まだ小さな子どもを子育て中だったり、会社員として忙しく働いていたり、ワーママだったり、地方在住(北海道!新潟!)と絵を習うためだけに上京したりと背景はさまざま。
置かれる背景は違うけど、正解の中の不自由さより、正解のない自由な表現に心惹かれ挑戦する仲間。
飾られた絵には、普段の日常の中では表現できえなかった「自分」が表現されている。
私もそう。
ピンク色で仕上げた絵(上から二段中央)は、女性性やか命の誕生という世界観を込めた。
赤・黄・青でカラフルに仕上げた作品(一番上右)は、アフリカの大地をイメージして、私たちのルーツ、起源、熱の源を表現した。
ある人がこう言ってくれた。
” 深雪さんはいつも文章で表現してるよね
文章は「モノクロ」だけど、
抽象画というツールに持ち変えたら
こんなに「カラフル」な世界が拡がってたんだね
深雪さんはいつも文章を書きながらも
こんな世界にいたんだね ”
表現できていないからといってその人の中に「ないわけではない」表現できてなくてもその人の中にはすでに「あるのだ」
(↑これは、ヒモ解きでも、子どもが教える学校でも1番大事にしているメッセージのひとつ)
その「ある」のに今まで表現できていなかったものが、みんなも絵を通して「表に現れたんだ」と思う。
だから、あの空間のエネルギーは凄まじかった。絵の経験歴など、関係なく。
いやむしろ逆で。長年、表現されずに内に秘めてたものが、外に出たことで、初心者ならではのエネルギッシュさの現れだったのかもしれない。
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みんなの作品が本当に見事でね。当たり前だけど本当にひとりひとりの作品が違う!んそして、その人の中にもいろんな側面の作品がある!
光が降り注ぐような作品、ビビッドな色使いの作品、ダークなイメージの作品とかね。
絵を見てるとね
あぁ、〇〇ちゃんはこんな一面もあるんだー
あぁ、〇〇ちゃんにはこんな世界が拡がってるのねと、
普段の会話で感じられること以上のものが感じられる。
その人の作品を通してその人のことを思うのはとっても「愛しい」行為だなって私はグループ展を通して学んだ。
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私は抽象画から、
「自分」の内側を表現したり「自分」のいろんな側面を愛おしむことを学んだし、
それと同時に
「誰か」の内側を見たり「誰か」のいろんな側面を愛おしむことも学んだ
今までもヒモ解きや子どもを教える学校を通して
散々やってきたと思ってたんだけどね、
ちょっと「言葉」に頼りすぎていたところがあった。
抽象画を学ぶことで言葉に頼らずとも、人の事を愛おしんだり、人を感じることを学んだ。
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グループ展が終わって2日経ってからかな、ひさびさに地元で車に乗ったの。
たった数日、風景を見ていないだけで、色づいたイチョウの葉はすっかり落ちて街路樹は冬模様になっていた
運転をしながら冬が一歩進んだんだなぁって感じた
赤信号で止まったとき、横断歩道を歩いていく高校生の男の子を何気なく目で追った
真っ黒なリュックを片方の肩にだけかけてね、肉まんをかじりながら渡っていった
ハンドルを握りながらその姿を見てたら、なんだかつーーーって涙が流れてね
日常の何気ない風景だけど、生きてるって感じの一コマで美しいなって思った
ギャラリーの60枚の絵からなる空間に身を置いて、美しいなって思った感覚と同じ感覚だった
人生に迷う時があったらあれ私どうしたいんだっけと分からなくなったら、またあの空間をイメージしてあの感覚に戻りたいと思う
それくらいに最高な空間だった
2023年の私、抽象画を始めてくれてありがとう!出会ってくださったみなさん、本当にありがとう!
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