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鈴木 将吾(Nexil代表取締役)|自己紹介 前編

はじめまして、鈴木 将吾(すずき しょうご)です。

「株式会社Nexil(ネクシル)」という人材紹介会社と「株式会社Admee(アドミー)」というWebマーケティング会社で代表取締役をやっています。

【べンチャー.jp インタビュー記事】

このnoteでは、今まであまり話していなかった「鈴木将吾とはどんな人間か?」についてお伝えしていきます。少し長くなりますが、お付き合いいただけると嬉しいです。


鈴木将吾の人生目標

私の人生のビジョンは、「人の可能性を最大化する」ということ。

24歳で創業した「株式会社Nexil」は、20代の若者のキャリア支援を行う会社です。Nexilは、20代の若者のキャリア支援を専門とする会社であり、現状にくすぶっている若者たちが自らの可能性に気づき、未来に向かって前向きに歩き出す手助けをしています。

とはいえこのビジョンは、会社員を辞め、起業を決意したときに決めたもの。

10代の頃は高校を2回も中退する”ドロップアウト組”でした。

そんな私が、どのような経緯で「今の自分」になっていったのか。
鈴木将吾の過去について、振り返らせていただきます。

略歴

・1995年生まれ
・神奈川県横浜市出身
・高校一年次、2つの高校を中退
・高校三年次、高校卒業程度認定試験 合格
・日本外国語専門学校 卒業
・法政大学 経済学部 三年次編入 
・就活100社見送り
・韓国LGグループ会社に内定
・外資系スタートアップ企業に転職成功
・HR系ベンチャー企業の立ち上げに参画
・株式会社Admee 創業
・株式会社Nexil 創業

生まれてから〜高校時代

1996年の1月生まれ、神奈川県横浜市の出身です。

幼少期から少しやんちゃな性格でしたが、中学2年生頃から本格的にグレ始め、自慢だった学力もどんどん低下していきました。

なんとか県立高校に入学するものの、入学1週間で停学、3ヶ月で中退。
いわゆるマイルドヤンキーと言われる属性。

その後は、フリーターになるかと思いきや
親の強い勧めにより、私立の通信高校に入学。
しかし、その学校もわずか3ヶ月で中退。

高校一年次で、既に二つの高校の中退という経歴になりました。

その後は、職人の見習いをしたり、引っ越し屋さんのバイトをしたりと職を転々をしていました。

中学の時の親友との再会

同級生が高校三年生のとき、中学時代の親友S君と再会しました。
中学一年の頃、同じクラスの相棒でテストの成績や体育の成績を競うライバルのような存在であり、放課後も一緒に遊ぶ親友のような存在でした。

学内学外ともに深い関係でしたが、私がグレ始めてからは徐々に疎遠になり、遊ぶこともなくなっていきました。

そんな彼とたまたま数年ぶりに再会したのです。

彼は中学二年くらいから本格的に受験勉強に励み、県内屈指の進学校へ進学。そして文部科学省が支援する奨学金を獲得し、スウェーデンの高校に留学しているとのことでした。

地元でぷらぷらとフリーターをしている自分と、
国から支援を受け、世界で活躍している親友S君。

各々の置かれている境遇の違いに愕然とし、悔しさと同時に圧倒的格差を感じた瞬間でした。

今でこそ経営者として偉そうに話している私ですが、当時は代表的な「中卒の落ちこぼれフリーター」だったんです。

中卒少年、再度勉学を決意。 

フリーター生活を送りつつも、将来について危機感を覚えた頃。
私の考えは、少しずつ変わっていきました。

このまま中卒フリーターを続けていたら、おそらくまともな仕事はできないだろう。やりたいこともできない大人になりたくない。まずは勉強をして、学歴を身につけ、社会で活躍できる存在になろう。

そんな私が決意したこと

・高校三年次に、高校卒業程度認定試験 合格
・現役と同じ時期に大学入学
・世界も視野に入れて、英語を学ぶ

今振り返ってみると、中卒少年にしては大きな夢と決断でした。

高校三年次の春頃から勉強を開始しました。
最初は中学二年生レベルの内容でしたが、久しぶりの勉強に楽しさを覚え、メキメキと模試の点数が上がっていきました。

そして高校三年の10月、高卒認定試験 全科目合格。

数ヶ月後、現役生と同じ入試を受けて、大学進学を目指します。

受験失敗〜専門学校〜大学編入〜三度目の中退

高卒認定試験に合格した勢いで大学受験も合格していく勢いでしたが、まさかの第一志望、第二志望、そして第三志望も落選。

滑り止めの大学には合格したものの、結果に納得できず
大学編入に強みを持つ、日本外国語専門学校へ進学することを決めました。

専門時代は久しぶりの学生生活を謳歌しながらも、大学の編入を目指して勉学に励みました。この頃から英語の勉強を始め、TOEICなどの試験を積極的に受験しました。

なんとか単位ギリギリで専門学校を卒業し、
目標であった法政大学 経済学部に三年次編入することができました。

現役時代の第一志望にリベンジを果たした瞬間でした。

しかし大学に編入してからは、受験勉強の解放からか、遊びに熱中してしまいました。毎日のように夜遊びを繰り返し、完全に昼夜逆転している生活を送っていました。

振り返ってみると、高校三年の時期からずっと勉強に打ち込んでおり、気付かぬところでストレスがたまっていたのかもしれません。

そして苦労して入学した大学をまさかの中退。
履修科目の単位も全く取れておらず、逃げるように中退を決意しました。

高校三年のとき
「必ず再起する」と決意し、必死に努力してきたことが水の泡になった瞬間でした。

就活100社見送り

大学中退後、無職になるわけにはいかないので、就職活動をはじめました。
しかし、100社を超える企業から不採用連絡をもらいました。

そもそも履歴書に”3度の中退”はやばすぎる。案の定、不採用の連続。

この時、学生という肩書きも外れ、就職という社会行動も惨敗し、友人からは落ちぶれと見捨てられ、すべてがうまくいかない状況で鬱寸前のメンタルでした。

「人生で一番辛かった時はいつか?」と聞かれたら、間違いなくこの時と答えます。

『このまま諦めてしまったら、本当に社会の底辺になってしまう』

その危機感がどん底の自分を動かし、負けそうになる自分と戦いながら就活を続けていきました。

そして、110社目の応募企業から奇跡の内定。

見送りが続く苦しい中、諦めずに続けていた就活の成果が出た瞬間でした。

内定メールをもらって、電車の中で号泣してしまった瞬間は今でも覚えています。次の駅のホームで母親に泣きながら電話報告したのを昨日のことのように思い出します。

1社目〜転職期〜創業

ここから先は続編にてお話ししていきたいと思います!

次回以降は、中卒だった私が社会人になり何を見てきたのか、そして創業の奇跡を書いていければと考えています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

株式会社Nexil 代表取締役 鈴木将吾

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