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勝手に思い出しただけ

この時期になると、不思議と”彼”を思い出す。

真夜中、三時。ふいにぽわぽわPさんのアストロノーツが頭に流れた。「もしも」が沢山でてくる、私の好きな曲だ。
中学生の頃に出会ったこの曲を聴き、子どもながらに「この歌詞を書いた人は何か大切なことを伝えたいんだ」と思っていた。

その重みが曲に出ていたほどだったから、この世界からいなくなってしまったと知ったとき、その重みの理由の一部分を理解することが出来た。
そんなぽわぽわPさんが亡くなったのは20才だったそうだ。

20才。
その数字を見た時、ふいに思い出した。
去年のこの頃もnoteで記事を上げた”彼”についてだ。
”彼”とは、大学の友人で、スピーキングかライティングの授業が同じだった。丁寧に授業を受けていた印象がある。


この時期になると、そんな”彼”をふいに思い出すような出来事や検索結果にあう。それは本当に単なる偶然だと思う一方で、どこか、必然めいたものを感じる。
いつもは日々の雑踏にまぎれている”彼”が、この時期、帰ってきたよと言わんばかりに私の脳内に少しだけ信号を寄越してくるのではないか……。


現に私はイヤーワームでアストロノーツを聴き、歌詞を検索し……20才でこの世を去ったという記事を読み……そのフレーズでスパン、と脳内に”彼”がやってきた。


20歳でこの世界からいなくなった”彼”の最期を私は知らない。友人の口からもういないのだと伝えられただけだ。その後、先生を通して言われても現実味はなかった。
そして、その過去は過去として固定されたままだ。


私は卒論を書くと言いつつ、面倒くさいと逃げている。最近は就活もなんとか終えて堕落的な毎日を過ごしている。そうした毎日を過ごす中で、彼が背中をたたき、喝を入れてくれている気がしてならない。


もしかするとそれは生きている人間の勝手な妄想で、彼は私なんぞに構わず、家族の元へ帰っているのかもしれない。


でも、その方がいい。きっと私が勝手にも思い出しただけなのだ。と思う。
これだけ必然性を説いておいて今更だけれど、生きている人間は、生きていく意味を見いだしたがるから。

今はただ、純粋な気持ちで眠りにつきたい。


ただほんの少し、どこかにいる彼をおもいながら。





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