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雪の華 #シロクマ文芸部

雪化粧をする初めての冬になった。

「華もいよいよ
雪化粧をする歳になったんだねえ」

鏡に映る私の顔を背後から覗き込んで
祖母が言った。
私は照れくさくなって、少し俯く。
昨日までの私なら、
屈託なく「お願い」と言えただろうに。
一夜にして私は変わってしまったらしい。

「うんと綺麗にするからね」

祖母の言葉に頷いて、
私は居住まいをただし
鏡の中の自分と向き合った。

私は今日、はたちになった。
はたちになった日の朝、女の子は皆、
その家で一番年嵩の者に雪化粧をして貰うのだ。
祖母はまだ陽が昇りきらないうちに起き出して、
夜の間にたっぷりと星を映しておいた井戸水を
頭からかぶり、身を清めた。

❄︎

今までの私は
隣の家のお姉さんや従姉妹たちが
雪化粧を施して貰う様を、
ただ息を潜めて見つめるばかりだった。
少女特有の
はち切れそうなほどふっくりとした赤い頬が、
次第に白く、きめ細やかな女性の肌へと
整えられてゆく。
彼女達の、あどけなさが残っていた眼差しも
次第に艶めかしくなって、
私はなんだか恐ろしいような
寂しいような気持ちになったものだった。
野原を駆け回って一緒に遊んだ日々は
もう戻らない。
いつかは自分もこの、
雪のように白い化粧をすることになるのだと
思うと、
私は自分の体をこのままとどめておきたくなって、両腕に力を込めて自らを抱きしめた。
けれども時の流れは誰にも止められない。
私もあちら側へと
足を踏み入れなければならなかった。

❄︎


私の肌に触れる祖母の手はどこまでも優しい。
私が小さな頃からずっとそうだ。
祖母は皺だらけのかさつく手のひらで私の頬を包み、草花の葉から集めた朝露を馴染ませる。
そこへ、夏の間に摘み取り
乾燥させたおしろいばなの粉をのせてゆく。
額から鼻筋、頬から顎。眉さえも。
私は白く儚く染まってゆく。
最後に竜胆の花を煮出した汁を
紅のかわりに唇へのせると、
祖母は安堵して笑った。
私の顔はすっかり大人のそれへと移ろっていた。


「出来たわ」

「ありがとう」

鏡越しに声をかけると、
祖母は目を潤ませて

「とても綺麗よ、華」

と言って、私をそっと抱きしめた。


❄︎

実はここからがはたちの儀式の本番なのだ。
母と祖母の二人がかりで
白い着物を着付けてもらった。
遥か北の地で舞っていた鶴の、
凛とした羽根が織り込まれた帯を巻く。
支度が済むと引き戸を開けて、
私はひとり裸足で外へ出た。
目の前にあるなだらかな丘の頂きを目指して、
歩いてゆく。
青く凍てついた空の中で、
太陽だけが唯一の熱さをもって輝いていた。
家族が見守るなか、
私は一歩また一歩と進み、
丘の上に立つと両手を天へ差し出した。


雪よ降れ。
雪よ踊れ。


空はにわかに厚ぼったい灰色の雲に覆われ、
湿った匂いが鼻をかすめた。
強い風が吹き始め、
巻き上げられた髪が
触手のように四方八方へ広がる。
目を開けていられないほどの風が吹きつけ、
たまらずぎゅっと瞼を閉じた。
それでも私は両腕をあげて、
その瞬間を待っていた。

雪よ降れ。
雪よ踊れ。


頬に冷たいものが当たった気がして目を開けると、世界は白い雪の渦に呑み込まれていた。
吹雪が祝福の唸りをあげ、
私の黒髪にもたくさんの白い雪片が
絡みついていた。


「ああ、華はとうとうやり遂げたね」

祖母は両手で顔を覆い、咽び泣いていた。
母も少し上擦った声で言う。

「この子はもう、
立派な雪おんなになったのだわ」

「綺麗な雪の華だねえ。
今まで見てきたどの雪おんなよりも、美しい」


私は真っ白な世界の真ん中で
いつまでも雪と戯れていた。
家々の屋根も木や草も、
小さかった私の面影も、
すべては白一色に塗り替えられてゆく。
これからの私は
冬が来るたびにそこらじゅうに雪を降らせ、
街を眠らせる。
丘の上から無音の家並みを見下ろす。
さようなら、子供時代の私。
今日、私は雪を産み出す母になった。

雪の華が私のまわりで舞い踊る。
ふわりはらり
轟々悠々。
白い輪唱がこだまする。





❄︎ ❄︎ ❄︎ ❄︎ ❄︎

小牧幸助さんの企画に参加させて頂きました。
ありがとうございます。
楽しいです。

このお話にぴったりな〈みんフォト〉が
ありました。
感謝します。
ありがとうございます。


#シロクマ文芸部 #雪化粧

文章を書いて生きていきたい。 ✳︎ 紙媒体の本を創りたい。という目標があります。