【雑記】FF5が発売されて31年経ったらしい

夏頃にメンタルを壊してからずっと人と接すると凄い勢いでMPが減って病んでしまう。たぶん過剰適応ってやつでオート操作で人間らしい対応はできても本人の心の余力は無い状態なのが問題なのかと。とりあえず人と会う用事は年内で一通り終わるので春には生き返ってる事を祈ってとりあえず今は無理をしないをやっている。

とりあえず今日も元気にMPが0で無になったので本当にどうでもいいnoteを書いておく。


最近FF5が31周年だかで一日中BGMを流すYouTubeをやっていた。FF5は私が始めて遊んだFFだ。本当に子供の頃に遊んだものでストーリーさえ記憶にないのだけど配信の途中がゲーム画面の総集編みたいになってたのでついつい懐かしくて見入ってしまった。

ちなみにこのnoteには中の人はいません。年齢?何それおいしいの?

子供の頃はレナが凄く好きだった。大人になってみなおしたら嫌に思えるキャラというのは多々居るのでシナリオ見直してたら嫌になるかなと思ったけどやっぱり今でも良いなって思う。昔は憧れる理想の女の子像みたいなのだった。芯は強いが女の子らしい、今でもやっぱり良いなと思う。

逆にファリスはあまり好きではなかった。子供の頃は自由なキャラみたいなのがどうも嫌いだったからだと思う。シナリオ的には自由なのでなく苦労してきたなのだけど子供心的にはどうにも苦手だった。同上の理由でFF6のマッシュが嫌いでエドガーが好きだった。背負う物があっても気高く気丈にふるまうキャラが好きだったんだと思う。そういうキャラが好きだったのに自分はどうしてこんな大人になったんだろう、謎。

ファリスを見ながら今のジェンダー感的にはこう描かれないでは?とか思ったけど、冷静に考えるとファリスは生活に適応(海賊)する為に強い性格だっただけで、男性の心を持ってるではないんだよなと。
FF6のセリスが本当に嫌いだったのだけど、子供の頃の感覚だと男性にも負けないかっこよい女性が途中から滅茶苦茶女の顔になるのが子供心には耐えられない裏切りにみえた。(つまり途中までは好きだった)同じ理由で男勝りな性格の子が女の顔になるってのが本当に耐えられずティファもビアンカも全然だめだった。今思えば仕事のできる優秀な女性が男性に負けない強さを前にだしていただけで、恋をすれば普通の女の子というだけの話なのだけど。恋愛とは一切無縁で学校以外は全部ゲームして遊んでるキッズにはむずかしい感情だったようだ。大人になったら何となく理解はできるがやはり好きという訳ではないのだけど。
恋愛というのは自分の弱さに気づく事、だからこそ相手の為に強くあろうとする事、だと思うのだけど、子供の頃はそういう事がわからなくて、憧れやカッコいいが優先されたり、逆にめんどくさいや何となく不快が勝ったりするんだろうなと。誰だってそんな時期があったはずなのになんか歳をとるって怖いわぁ。

そして久しぶりに見て思い出したけど昔どうしてもクルルが嫌いだったけど誰にも言えなかった。だってクルルは本当に良い子だけどクルルにはガラフが居るからというなんとも闇の深い理由だった。私は親とも仲良くなかったし、おじいちゃんもおばあちゃんも居なかったからクルルが良い子であればあるほど自分に無いものを持ってる事がつらかった。誰にも言えない理由だったから余計。当然レナの両親とかだって良いキャラなのだけど、そういうのとは違って子供の時に傍にいてほしかった理想の大人みたいなものだったんだと思う。
FF5発売から31年、つまりFFを遊び愛した世代の我々は昔話ばかりして懐古せずにガラフみたいになってなくてはいけないはずなのだけどどうなのだろうか。……歳とるだけじゃ大人にならないなと痛感したりしなかったり。ゲームの中のキャラなので少年の心をもったままの大人が多いのはさておき、子供たちの前できちんと良い大人をやれているのかなって。大好きだと思う物にきちんと自分は近づけていれてるのかなってね。良い大人ってむずかしいなってつくづく思いながら、あきらめの境地の私は人間やめてモーグリになるクポ。皆は頑張れクポ……クポーーーーー!


MPが0になり人間有益な事が全くできなくなるとこういった無駄な事ばかり考えだすので人類は良く寝てきちんとメンタルケアをしなければならない。あまりに現実が辛くてモーグリになると言い出しても人類はモーグリにはなれないので頑張って人類をやっていくしかないのである。とりあえずこういう無駄な事ばっかり考える状況から早く脱さないとなという日記でした。


クポーーーーーーーーー!!!!!!(現実逃避)


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