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【ジュビロ磐田⚽】地元にチームがある幸せ ~オカンと僕と、そこそこオトン~

まだスマホなんて無かった。

静岡の片田舎で生まれ育った僕は高校生になると本格的に上京を夢見るようになる。はっきりとした理由はない。
ただ何というか、自分の中にあったマグマみたいな好奇心が田んぼに囲まれたこの景色を破壊したくてしょうがなくなる。

毎月メンズノンノを買ってきて有名ショップの名前を記憶した。ほとんどの店は明治通りか神宮前方面のいわゆる裏原宿にあって、そこに行って服を買えば渋谷・原宿の一部になれると信じて疑わなかった。

絶対に、東京の大学に入る。

勉強すれば上京できる。そんな不純な動機で僕は研鑽を続け、19になる前に家を出た。
当時はやっと18歳まで来た、という感覚だった。でも親の立場からすればそれは、まだ18歳になったばかりといった方が正しかったかもしれない。


あれから倍以上の月日が経ってしまった。

改めて思う。
僕は18歳の春からずっと、親のことを何も知らない。



■「庭だ」と豪語した国立

「TOKYO WALKER」「東京一週間」は良く読んだ。「王様のブランチ」もすでにこの頃から放送されていた。

昔はテレビや雑誌の情報は架空の世界に近かった。それが昼まで寝て、起きてブランチ見て、そこで見た場所にそのまま行くことが出来る。テレビの中の世界が異様に近い。

それは国立競技場もまた同じだった。

小学生の頃、父親は僕と弟をよく国立競技場に連れて行ってくれた。朝早く起きて、高速バスに乗って東京へ向かう時のワクワク感はよく覚えている。

それが上京してからは昼まで寝て、ちょっと電車に乗れば国立でのスポーツ観戦に間に合ってしまう。
しかも当時はジュビロ磐田の方から国立に来てくれた。大学で友人になった東京生まれ東京育ちのシティボーイくんは鹿島ファンだった。(当時は東京ガス、ヴェルディ川崎だったからそういう人多いんだろうな)

奇跡的にその2チームによるビッグマッチが開催されたりして、国立にはよく行った。帰りにホープ軒でラーメンを食べてダラダラ家に帰る。
あまりの近さに「国立はオレの庭」と豪語して、わかりやすく調子に乗った。


しかし、

そこからの記憶が無い
ジュビロ磐田は国立に来てくれなくなり、僕は就職して横浜に移り住むこととなった。
DAZNはまだない。この頃からJリーグはメディアから徐々に姿を消していく。気付けばジュビロ磐田はとても遠い存在になっていた。

それは地元との距離をも遠ざけてしまうような、そんな感覚だったと回顧する。



■子育てと、サッカー観戦

子供が生まれてからのサッカー観戦とのかかわり方はこちらのnoteにたっぷり書かせていただいた。


この頃になると自分自身の変化も割と大きくなっていて、10代の頃 燃え尽きることは無いと思っていた都会への好奇心は次第に小さくなっていく。

逆に、
海や山が近く、夜の星が多い地元。月並みな形容だけどそれがこの場所の良さだと再認識した。


昔からずっとそこにある店に改めて興味を持ったり、一方で子供の頃友達と探検しながら進んだ道が本当にケモノ道みたいになっていて少しショックを受けたりした。

さわやかが全国区になっていたのはデカかった。子供たちを連れて帰れば、自分が子供の頃食べたのと同じハンバーグを食べて喜んでくれる。奇跡のような体験だと思った。

子供の誕生が自分と地元を再び近くしたことは恐らく間違いない。
彼女たちを連れて帰れば親が喜んでくれる。それだけで親孝行をしている気分になった。


しかし、
noteにも書いたように徐々に子供たちは子供たちなりの人生を歩み出す。静岡と神奈川の距離でありながら頻繁に帰省することは難しくなってきた。

ちょうどこの頃からもう一つの変化が目に付くようになる。あんなに口うるさくて絶対的だった親が、明らかにパワーダウンしている。

孫たちが呼ぶ「おじいちゃん」「おばあちゃん」は続柄を表すそれだったはず。しかしそれがいつの間にか、本当におじいちゃんおばあちゃんになっていた。


僕は18歳で親元を離れて以降、一度も親と一緒に生活したことが無い。

それ故、とても自己中心的な感覚だけど、小さくなった親を見るとタイムスリップしたかのような気分になる。
僕が大学を卒業して就職して親になった時間を思えば親も年を取って当然なのに。

全く気付かなかったし、知らなかった。
親が老いるなんて。



■思春期と、無知

いい大人が何を言っているのかと批判されそうだが、これも18歳で親元を離れた影響だろうか。

親に対して妙に気恥しい部分が、未だにある。
特に親父に関しては2人きりでリビングに居ると会話が弾まない。まるで実家に置き去りにしてきた思春期がまだそこにあるような感覚。それは相手側も恐らく同じだろう。

と同時に、
僕はこの人たちのことを何も知らないなと、少し恐ろしくなった。


今何が好きで、何が嫌いで、何にハマっていて、何に悩んでいて、
誰と遊んでいて、毎週何曜日に何をしているとか、ふっと車で出かけるときにどこに行っているのか、とか。
金はいくら持っていて、1週間にどれぐらい使っているのか。彼らの「今」を、本当に何も知らない。それは子供のころ干渉を許されなかった大人の世界そのもの。

こういうのはレポートにして提出されたところで実態は掴みにくいだろう。生活習慣とは、一緒に暮らすことで初めて実感できるものだから。

僕はまだ、彼らの子供でしかない。果たしてこれで良いのだろうか。



この手触り感のない「無知」は、僕が18で上京してからずっと放棄してきたものなんだと痛感した。


変わらない景色もあるけれど。人と生活は変わる。



■地元にチームがある幸せ

「今週末にそっちでジュビロの試合見るから。」

母親にそう告げると、あまり細かいことは聞かず快諾してくれた。恐らく布団を一度天日干しする段取りを考えているに違いない。


親が心配だから帰省する。とは言わない。正確には、言えない。

気恥ずかしさもある。そして何より、そんな風に切り出せば「お金がもったいないから来なくていい」と言うだろう。
親とはいつだってそういうもんだ。今自分がその立場になったから、少しわかる。

プライドなのか、恥ずかしさなのか。それとも、思春期の親と子供の関係がまだ残されているだけなのか。


だから僕は敢えてこう言う。

「子供たちも最近親と遊ばなくなってきてさ。仕事休めたからジュビロ見にそっち行くよ



ふと思う。
例えばここにジュビロ磐田がなかったらどうなっていただろうか。

他の理由を作って帰省していただろうか。あるいは相変わらず親の顔を見るのは盆か正月のみだっただろうか。
恐らく後者じゃなかろうか。

そして親のことなど何も知らず”その時”を迎えてしまったりしたのだろうか。


つまり、
地元にサッカークラブがあることは、実はこんな形でも僕たちに価値を提供してくれる

これは当たり前ではないし、本当に恵まれた環境なんだと実感する。


僕がヤマハのサッカーを見るきっかけを作ってくれたのは父親だった。
そんな父親や母親を見に行くために、再び東山に行く。そこにはあの時のクラブチームがまだ存在する。

この境遇は奇跡に近い。



徐々に親との会話も増えてきた。まだまだ細かいことは知らないが、少なくともかつてのようにゼロではない。
かつてメンズノンノで調べた明治通りの店舗ぐらいの情報量は、頭に入った。

最近では親の方から「前の試合負けちゃったじゃん」とか、そんな風に切り出すことも増えてきた。


改めて思う。
Jリーグが出来て30年。果たしてこんな風に価値を示す風景を思い描いていただろうか。

地元にチームがある幸せ。
誇りとか、勝って嬉しいとかを超えて、在るだけでそれは尊い

そんな素晴らしさを、これからも皆で紡いでいけたらなと思う。


親も、僕も歳を取る。
でも、人は続く。地元は続く。


街と太陽と、スタジアム。





本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。

色んなものに感謝しながら、応援したいと思います。




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