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本との出会いは偶然のきらめき

一つ前の投稿で片山令子さんの「惑星」というとても素敵な本の読書記録を書いたのだけど、そもそもなぜこの本に出会えたかという話が個人的に勝手に胸熱なので、つらつら書いておきたくて。


一つ前の投稿はこちら


「惑星」を知ったきっかけは、昨年手にした「文學界  9月号」。

「文學界」のこの号は”エッセイ”特集で、名前を知っている著者さんのエッセイが多数掲載されるとのことで、私には珍しく文芸誌を購入。

そんな中で目にしたのが、オルタナ旧市街さんのエッセイ。

オルタナ旧市街さんは自主制作のリトルプレスが大好評で文学フリマで爆発的に売れた話題の人で、私も彼女の本を持っているし、今回のエッセイ掲載も楽しみにしていたうちの一人。

そんな彼女の今回のエッセイでピックアップされていたのが「惑星」でした。


このエッセイを読んだ当時、私は片山さんも「惑星」という本のことも一切知らず、でもオルタナさんのエッセイを読んで興味を持って、まずは図書館で借りてみることにしたのでした。

こうやってある本(今回は文芸誌の文章だけどを読んで、別の本を手にとるきっかけになることってときどきあって。

そんなときは、目の前の本に、新たな本に出会うきっかけをもらえたことに、そういう本の連鎖に、小さな偶然の繋がりに、ものすごくワクワク嬉しくなる…!

そうして手にとった「惑星」は、案の定とても素敵な本で、読み終わったあとには「文學界」とオルタナさんに”出会わせてくれてありがとう!”となった。

そして、「惑星」を読むと、オルタナさんのエッセイ(タイトル含む)がものすごく秀逸だなと改めて唸ってしまう…


「天体としてのバター」


ここからは勝手に言いたいことつらつら書くのですが、このタイトルの”天体”という言葉は、片山さんの本のタイトル「惑星」と恐らく繋がるところもありながら、もう一つ、本の中身とも繋がっているところがある言葉で。

そして”バター”という言葉では、自然とあの淡いイエローのバターの色が連想されるけれど、そのイメージが「惑星」の表紙のレモンイエローの色とも絶妙にリンクしているようで、ここはやっぱり意図されての言葉選びなのかなぁと勝手に想像が膨らんだり(実際今回のオルタナさんのエッセイの中には「惑星」の”レモンイエローの表紙”という記載がある)

この、すべてにおいて絶妙な文章と文章、イメージとイメージの繋がりが、本当に見事で、オルタナさんの文章を読んだあとで「惑星」を手に取ったことで、よりオルタナさんの文章の精巧な成り立ちに気づかされ、またその感性が片山さんが「惑星」で描いた世界とも絶妙に相性が良く、その双方が相乗効果で私の脳天に染み入ってくる、という、この二冊のすべてをひっくるめて、最終的に”やっぱり読書最高!”となった体験。

こういう本にまつわるエピソード、一つ一つの本との出会いや、そこから感じるもの派生したもの、すべてに胸がいっぱいになったのでした。

そんなわけで、日頃noteやインスタの読書アカウントさんの読書投稿を読ませていただくのを楽しみにしているのですが、読んだ本の内容はもちろん、なぜどういう過程でその本を手にとったのかを書いている方がいると、やはりものすごくテンションが上がってしまう、そんな私なのでした。


私のインスタ読書アカウントはこちら〜🫧



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