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ただそこにある

誰にでも、海が必要な瞬間、があるのではないかと思う。
少なくともわたしには、紛れもなく海を必要としている時があった。

2021年夏。世間の風潮がvs.コロナからwithコロナに移り変わりつつある頃、父親に重い病気が見つかった。
いわゆる基礎疾患に類する病で弱った彼を流行病から守るべく、友人からの食事や遊びの誘いを全て断り、学業と仕事、その他必要最低限の外出を除いて他人と会う機会をひたすら削った。

父の命、母の将来、わたしの将来、経済、健康、それらすべてに対する茫漠たる不安。
スマホの画面の中のBBQ、ハンバーグ、プール、かき氷、テーマパーク、輝くような笑顔、笑顔。
のみこまれそうなわたしに構わず進んでいく世界。

適度な運動と規則正しい生活、なんていうささやかな抵抗も虚しく、わたしの心はとっくにこぼれる直前で。
わけもなく涙を流す夜を何度か過ごした頃、ふと海が見たくなった。

ひとたび思ってからというもの、取り憑かれたようにそれが頭を離れなくて、かといってこれは不要不急の最たるものだよなあ、などとぼんやり考え実行に移せないまま日常をこなす。
そんなある日、都内でワクチンを打った帰り道、ふと気づいた。
このまま電車を降りなければ、海に着く。
ワクチンは副反応だってある、帰りが遅くなれば家族が心配する、早く身体を休めたほうが、などとくるくる思いながら、気づけば最寄駅で電車のドアが閉まるのを眺めていた。

しばらく電車に揺られ、真夏の午後の海辺の街に降り立つ。
休日は溢れんばかりの観光客でごった返す駅前もど平日のおやつどきにはさすがに閑散としていて、どこか平和なバスロータリーを横目に海に向かってぽくぽく歩くこと20分。
凝らした目に飛び込む碧いきらめきに、思わず頬がゆるむのを感じた。
きょうび都会ではなかなかお目にかかれない家族経営の何でも屋さんで、値札のついていないレモン牛乳アイスをどきどきしながら買った。
おばあちゃんにお礼を言うのももどかしく、スニーカーが汚れるのも構わず小走りで砂浜に駆け降り、一面に広がる海に心の中で歓声をあげる。
不要不急なんかじゃない、わたしには間違いなくこの時間が必要だったんだ。
海を見つめて一人にこにことレモン牛乳アイスを頬張るわたしは傍目から見たら怪しい女だったかもしれないけれど、確かに誰よりも幸せだった。

そのまま海を見つめ続ける。
寄せる波、散歩する犬、引く波、乾きかけた海草、寄せる波、ウィンドサーフィン、引く波、潮の香り。
何をするでもなく周りに五感を委ね、ただぼんやりと時間を過ごした。

ふと日が傾いてきたことに気づき、慌てて時計を見ようとしてワクチンの副反応で腕が上がらないことに驚き、2時間近くも経過していたことにさらに驚く。

充足感と心地よい疲れと僅かな腕の痛みと共に帰路についた。
家に帰った途端熱を出してそのまま布団に倒れ込んだが、眠る私は最高に幸せな顔をしていたと思う。


時が流れ、今も父親はなんとか元気に生きているし、色々と状況も変わってわたしや母もそれぞれの時間を楽しみながら過ごしている。
将来のことはいつ考えてもわからないので、不安や恐れは消えてはくれない。

それでも、溜まりに溜まってこぼれそうになったとき、ただ穏やかにそこにあったあの日の海のきらめきを、わたしはきっと一生忘れず、大事に抱いて生きていくのだ。


#わたしと海

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