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食べること、生きること

食に対するわたしの執着心は、ものすごい。

美味しいものを食べることが大好きで、嫌いな食材は全くと言っていいほどない。
小学生くらいまで食わず嫌いばかりでトマトもきのこも全部だめだったはずなのに、今は不思議なくらいになんでも食べる。
一体いつからこうなったのか、自分でもわからない。

好き嫌いなく残さず食べるなんて、幼少期の食育がしっかり身についたイイ子じゃないかと思うだろう。
わたしもそう思う。
わたしに食べられる命に、そして彼らが食卓に乗るまでに携わる全てに、わたしは感謝し今日も食べる。
これ自体はすごく、ありがたくてまともなことだと思う。

その一方で、食べることばかり考えている自分が嫌になってしまう自分がいる。
わたしだって体型を気にせず好きな服を選びたいし、写真を見てがっかりなんてしたくない。
端的に言って、痩せたい。
それなのに、つまらない講義中の頭の中は気づいたら今日のお昼ご飯のことばかりだし、ちょっと疲れたらすぐ甘いものやジャンクフードを欲するし、街を歩いていても競うように並んでいる飲食店のメニューをついつい横目で眺めている。インスタのサジェストだっていつの間にやらグルメアカウントばかりだ。友達にふざけて「頭の中9割食べたいと痩せたいで埋まってる〜」とか言ってきゃらきゃらと笑っているが、これは本気だしわたしにとっては笑い事ではなかったりする。

こんなに切実に痩せたいと思っているのに、運動だけでなく食事改善も大切だってわかっているのに、食べたい食べたい食べたい。
食べたいものを我慢するのも、我慢しきれず食べてしまって後悔するのも、全部全部ものすごくストレスだ。
カスタードやらチキンやら、何かが頭にこびりついて離れなくて、美容にも健康にも悪いとわかっているのに離れなくて、貪るように口にしてしまうこともごくたまにある。
摂食障害に片足突っ込みかけてるのかな、なんてぼんやりと感じる。

正直なところ、どんなふうに付き合っていけばいいのかわからない。
わたしにわかるのは、わたしは食べることが大好きで、自分の心と身体にやさしいものを自分のために食べるとき、誰かと一緒に美味しいねと笑い合うとき、わたしは最高に幸せだ、ということだけ。

ずいぶん前の朝ドラの、「食べることは、生きること」というセリフをふと思い出した。
食に対する執着は、競争心も何もなくうすぼんやりと過ごしているわたしなりの生に対する執着、なのかもしれない。
いや、やっぱり絶対そんな大層なものじゃない気がする。
まあいいや、考えすぎたら疲れてしまう。

何にしても、わたしたちが食べるものによって生かされていて、食べるという行為抜きに生きていけないのはどうしようもない事実だ。
だったら、「食べる」という行為に罪悪感やストレスを抱いたりなんてしないで、むしろそれを通じてより健やかに、美しくなる方法を模索する方が遥かに幸せなんじゃないだろうか。
というか、模索し始めることができた時点で、そのひとはきっと健やかで美しい。

最近は、結局どう転んでもわたしは食のことが大好きなんだから、間接的であれ食を通じて誰かの健康や幸せに寄与できたらな、なんて未来をふんわりと描きながら日々を過ごしている。

まだまだ迷いと悩みの途中だけれど、いつか自分のこの矛盾と折り合いをつけて、上手に付き合っていけることを願って。


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