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「雨ニモマケズ、風ニモマケズ、そういうものになりたい」のそういうものって何だか知ってます?

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

サウイフモノニ

ワタシハ

ナリタイ


ご存じ宮沢賢治の代表作「雨ニモマケズ」の一節ですが
ほとんどの方がこの部分しか知らないのでは、と思います。

「そういうものに私はなりたい」と言っている
「そういうもの」って
どういうものか知っていますか?


おそらく「雨にも風にも負けない強い人間になりたい」という
イメージを持っている方が多いのではないでしょうか。

実は、ここには中略があり
「なりたい」と思うことがツラツラと書かれているのです。


どういうものかちょっと触れてみます。


欲を持たず、
決して怒らず
いつも静かに笑っている


そして

あらゆることに自分の損得勘定を入れない

病気の子供がいれば傍に行き看病をする

自分の母には孝行をし

死にそうな人がいれば優しく声をかけてあげる

喧嘩をしている人がいれば「くだらないことは止めろ」と声をかける

とあります。

長っ!

思ったより長く具体的な事が書いてあると驚いたのではないでしょうか。
そして自分の事ではなく
終始、「人の役に立つことを考え行動する」ことが書いてあった事にも
驚きです。

自分が強い人間になるということではなく
人のために尽くすことが書かれていたワケです。


そして最後に

みんなにバカにされても

褒められもせず

苦にもされず

そういうものに私はなりたい


と言っているのです。


どうですか?

最初に思い描いていた
「そういうもの」とは違った印象を持ったと思います。

強さとはいろんな強さがあり
宮沢賢治が目指していた強さとは精神的な強さであると言えます。


実はこの詩にはモデルがいまして
同郷の斉藤宗次郎という方だそうです。

彼はクリスチャンで当時は迫害されており
それでもくじけずに神に祈りを捧げ
子どもや老人には優しく手を差し伸べ
病気の人を励まし祈り続けたそうです。

そして彼は
雨の日も、風の日も、雪の日も
休むことなく町の人達のために祈り働き続け「でくのぼう」と言われながらも最後まで祈りを貫き通したそうです。


宮沢賢治はそんな彼の
謙虚で自己犠牲の精神を持った人柄に憧れて
この詩を書いたのではと言われています。

宮沢賢治の「そういう人」とは
自分のことだけを考えるのではなく
思いやりを持って生きていく人を指していたと言えるでしょう。

誰もが世のため人のために生きていければいいなと感じながらも
理想と現実のギャップを抱え生きています。

宮沢賢治もその葛藤を抱え
その心の揺れを詩に残したのだと思います…。


その証拠に
この有名な詩は宮沢賢治が亡くなった後に発表されたもので
実は公式に発表されたものではありません。


死後発見された1冊のノートに書かれていたいわゆる「メモ」の一文であり
それを宮沢賢治の「遺作」として発表することとなり
今日まで多くの人の目に触れ名作として語り継がれるようになりました。


ですから本当は詩ですらないのかも知れません。
ただの落書きだったのかも知れないのです。

しかし世に出す前提ではなかったものだったと仮定するなら
それはまさしく
宮沢賢治の当時の純粋な心の言葉であり
心底から溢れ出る願望だったともとれます。


今ではもうその思いは、馳せるしかありませんが
これまで人々の胸を打つ文章であり続けたのは
彼の純粋無垢な心の声が多くの人の心を捉えたのではと思います…。


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