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この街の記憶 ショートショート

ギラギラと熱い太陽が私を照りつける。
太陽はちょうど真上だ。真夏日とはこういう日のことを言うんだと思う。なぜこんな日に母校に行こうと思ったのだろうか。自分を責めた。

駅でバスを待てば良かったか。でも2時間に一本しかないバスを待つのは億劫だ。結局歩くことにした。炎天下で暑かったが、歩きながら昔のことが蘇ってきて懐かしい気分になれた。

ちょうど今歩いている場所は、お祭りで餅まきをやっていた場所だ。私がお祭りで一番好きだった場所。いくつかの地域の神輿が集まってきて、ねりが始まった。掛け声と共に人々の意気が高まり、音楽もより一層情熱的になる。小学生だった私はそれよりも誰よりも多く餅を拾おうと一生懸命だった。神輿に乗って餅を投げる人の目線を観察して、その方向に移動した。今思うと恥ずかしいな。友達と太鼓を叩くために、神輿の後ろをずっとひっついたり、駄菓子屋さんでお菓子を買ったりしたのも懐かしい。

田舎だからか、年に一回あるこのお祭りに命をかけてるような人たちがたくさんいたな。20代前後の若い人たちも神輿を担いだり、太鼓などを楽しそうに演奏していた。その当時の彼らは大人びて見えた。早く彼らみたいに神輿を自由自在に担ぎたいなと思っていた。今ではそのお兄さんたちより私は年が上だ。そう思うと、この街にいたのは随分前だということがわかる。

見覚えのある校門が見えてきた。松の木が校門の両脇に生えてアーチのようになっている。私の母校だ。

外からも見える池は私のお気に入りの場所だった。小さな池で周りには整えられた草木が生え、太陽に反射した噴水はキラキラしていた。私のことを歓迎してくれたのかな。久しぶりだねって。

母校は私が通っていた時と基本何も変わらない。ただ私の目線の高さが変わっただけ。池の周りのおしゃれな柵は今見るととても低く感じる。小学生向けに作られているから大人が低く感じるのは当たり前だろう。私もその頃と比べるとたくさん成長したな。

そう思うと同時に、私の記憶はかなり遠い昔だと思うと少し寂しい。担任の先生もクラスメイトももういない。私の頭の中だけに存在する。彼らは私の中では今も昔のまま生きているが、今は全く別の人生を歩んでいるんだろう。当時学校にいた人たちは誰1人として、この学校にいない。

寂しいと言いながら私も、今は東京で暮らしている。高層ビルが立ち並んだ東京に毎日満員電車に乗って通いながら。平日は業務に追われ、残業もしばしば。ここの風景と対比的である。たまにこういう田舎に行きたいと思うが、毎日忙しくて考える余裕がなかった。今回はやっと繁忙期が終わり、ゆっくり休みが取れた。豊かな子ども時代を思い出せて久しぶりに心が休まった気がする。

この街は、今の自分を癒す。昔の記憶が上書きされた。

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