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バカが自殺未遂した時の話③


今むちゃくちゃ腹が痛い中書いています。ブチギレです。誤字脱字には目を瞑ってください。


あらすじ

①から読んでください。めんどくさかったらいいです。


結局おどれは何が言いたいんや

はい、そう。それはそう。私の自語りを書いていても別に面白くないのです。リハビリの詳細とかもう書いててどうすんねんって感じだったので省きます。自殺に失敗した時のデメリット、もとい長期間入院していて不快だったり不便だったことを書きます。


①見ず知らずの他人と寝食を共にする

めっっっちゃ嫌でした。わがまま言って大部屋に1人だけ入れてもらいました。不快すぎる。普段なら気にしないささやかな生活音が毎日毎日聞こえるのが果てしなくストレスでした。精神的に不安定だったのもあります。自殺に失敗したデメリットを背負いつつクチャラーやいびきの人と長期にわたって寝食を共にする可能性があります。


②ネット環境がない

当たり前です。都会の病院ならWi-Fi完備されてたらしますが。ソシャゲのログボが回収できなくてストレスでした。ゲームもしたかったし。普段何気なくやってるネット環境がある前提の行動がかなり制限されます。


③身体の不具合

肉体が思い通りに動かないだけでももう本当に気が狂いそうになりました。左脚を自分の手で持って足を伸ばしたまま座ってトイレをする。もう2度とやりたくないです。毎日見ず知らずの人と顔を合わせて唸りながらリハビリする日々も苦痛でした。私は幸いにも外傷的なものでリハビリを重ねて足は動くようになりました。季節の変わり目に膝が痛むのでバカなことをしたと頭を抱えつつ季節の移ろいを感じています。私はバカです。下顎は完治まであと数年かかります。歯列矯正レベルの治療を継続していますが保険が効かないのでめちゃくちゃ金がかかります。
自殺の方法によっては体のもっと内部や脳に障害の残る場合もあります。今生きるのが辛いと感じていて自殺に挑戦した結果失敗して半身不随になったとします。その時は考えませんでしたが万が一私がそうなっていたらと思うと想像したくないです。自殺したとて100%死ねるわけでもなくむしろ状況は好転せず身体的ハンデを抱えて生きて行く可能性もあるということを考えるとやはり自殺はやめるべきです。親が泣く〜とか命を粗末にするな〜とかそういう精神論以前の問題です。これです。失敗した時のリスクがあまりにもデカすぎる。これにつきます。もうこれ以上書くことないやろってくらいこれです。これを書くために長々と自語りを書きました。
人間は無意識に急所を守ろうとする作用があります。あなたがどう思おうが人体の制御不可能な部分があなたを延命させようと無意識な行動が発生します。それが自殺未遂の結果です。


まとめ

上記が経験談に基づいた自殺をおすすめしない理由です。ここから先は読まなくてもいいです。長々とお付き合いくださった方はありがとうございました。



今生きるのが辛いあなたへ


長々とここまで書きましたが私自身希死観念がなくなったわけではありません。100%成功する方法や安楽死制度が導入されたりしたら話は別です。自語りになります。あくまで私の考えです。散々失敗して迷惑をかけましたが時々一家心中を考えます。でも失敗した時のことを考えると実行する気になりません。依る瀬を失えば意地でも死のうとするのかもしれません。でも私には猫がいます。2匹います。猫は当然人語を喋れないし意思疎通も難しいです。しかし家族です。うちに引き取る際最期の死に目まで看取ることを条件に引き取りました。最初は私の慰みの為に軽率に命を持ち帰ろうとするなと激怒しました。自分は命を粗末にしたくせになに偉そうなこと言ってんだよって話なんですが。私がいなければ明日の猫の昼ごはんやトイレ掃除は誰がやるのだろうか。それが自殺しようとしない理由です。未来に希望は抱けません。でも今この瞬間猫がいる事実が私にはあります。そして明日私が死んだら誰が猫の世話をするのでしょうか?多分家族がやるんでしょうが私はそういったほんのわずかな明日への未練を抱きながら生きています。私の未来は明るくないかもしれないし明日うっかり車に轢かれて死ぬかもしれません。隕石が直撃して地球が滅ぶかもしれません。それは私にもわかりません。でもその「明日への未練」があるからこそ私は今日を終えようとしています。別に猫じゃなくてもいいんです。未来に不安を抱えて生きていくのは辛くて苦しいと思います。100%ではないですが今苦しむあなたの気持ちを想像するのはそう難くないと思っています。今日に後悔せず、明日にほんのわずかでいいので未練を残して眠りについてください。今死のうとしなくても命ある限り死は着実に近づいてくるのです。明日だって辛いに決まってる、と思うかもしれません。しかし明日あなたが「会った人に挨拶をする」、「コンビニの店員さんにありがとうございますと言う」。それはあなた次第で変わることです。別にやらなくてもいいんです。ただ明日変えられるかもしれないことを考える。未来は辛く苦しいことかもしれませんが明日はほんの少し変えられるかもしれません。まずは自分で明日の何かを変えること、挨拶するとか本を読むとか映画を見るとかなんでもいいんです。実行出来なくてもいいんです。明日は今日と違うかもしれない。もしかしたら今日と変わらないかもしれない。必ずしも良き人、良き行いであれとは言いません。ただ明日ほんの少し自己満足することをやるかもしれない。そう思って眠りについてください。そういった自己満足の積み重ねが明日への未練を作り出していく。私はそう思って明日猫のブラッシングをして、ねこの毛ボールを少し大きくします。優しく抱きしめてふわふわでお日様の匂いのする大切な家族を抱きしめたい未練があります。だから私は今この瞬間死なずに生きています。なんでもいいので明日への未練を作り出してください。そうしている間にも死の方から近寄ってくるのです。死に急ぐとはその通りでいつ死ぬのか、明日か明後日から10年後か分かりませんが。永遠に目覚めない日を迎える日まで明日への未練を残して眠りについてください。私から言えるのはただそれだけです。