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誠実さとは、重さだ―結婚前の決意表明―

この前の三連休、婚約者と一緒に婚姻届けに記入した。彼は私以上に、そこに記入することの重みを感じて、緊張してくれていた。
本当に、本当に、いい人を選んだ、と思った。

でも、私はこれほどいい人に釣り合う人間になれているんだろうか?と考えてしまった。

そこで、ふと、こう思った。

世の中の、クズ男に引っかかり、クズとわかっていても付き合い続ける女性たちは、本当はわかっているんじゃないだろうか。誠実な男と付き合ったほうが幸せになれる、と。
でも、そっちを選ばないのは、実は自分にもクズな部分があると自覚しているんじゃないだろうか。
なんだか炎上しそうなので、これは個人的な意見であり、このnoteは結婚前の個人的な決意表明である、とだけいっておく。

こんなふうに考えるのには理由がある。

5年前に、『元彼が聖人でなくて良かったと思った朝』という記事にも書いたように、私の元彼は今の婚約者とは全く違って、お世辞にもいい人とはいえなかった。
恋愛感情がなくなっているのに、自分から別れを切り出そうとはしない狡さ。彼女と向き合おうとしない不誠実さ。何のために付き合っているんだろう、何のためにこんなに辛い思いをしているんだろう、という日々の連続。

そんな元彼との苦い経験を踏み台にして、今の婚約者との出会いに至るわけだが、近頃、彼の誠実さに私が釣り合っていない、と感じる瞬間が増えた。いや、出会った頃から感じていたことだけれど、結婚を前に自覚するようになった、といったほうがいいだろう。

彼は、困っている人が目の前にいればすぐに手を差し伸べる。でも私はそうじゃない。彼は、どんなときも素直に謝ってくれる。でも私は時間が経たないと謝れないことがある。
というように。

付き合いが長くなると、自分のクズな面に否が応でも目がいくようになる。
これは元彼と付き合っていた時にはなかったことだ。

クズと付き合っていると、そのクズさに涙する一方で、自分のクズさと釣り合っている部分がある、と思ってしまうので、付き合い続けるほうを選んでしまうのだ。自分のクズさを改めることから逃げられるから。

つまり、クズ男と付き合う日々は、自分の弱さに向き合わない日々だ。
誠実ないい男と付き合う日々は、自分の弱さと向き合わないといけない日々だ。そうしないと、一緒に居続けられないから。

誠実さは、悪い意味ではなく、ある種の重さのように感じる。逆にクズさは軽さ。誠実さとは、責任を持てるということ。クズであるというのは、無責任であるということ。
釣り合う釣り合わないというのは、天秤にかけたときに、この重さが同じぐらいであるということ。


とにもかくにも、私が婚約している相手は、私にはもったいないぐらい、いい男で、どういうわけだか私を愛し続けてくれている。
私も、間違いなく、彼のことを愛している。

これからの結婚生活を破綻させないために、私は今以上に、彼と人生を共にする、彼と家庭を作りあげる責任感を持たなければならない。

これまでのような軽さは許されない。覚悟を持て、自分。

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