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トイレで泣いてた新入社員が飛び立った話

*写真はエベレストです。10代の頃にエベレストベースキャンプに息も絶え絶えの状態で向かう途中に撮った写真。

書くことはもうずいぶん昔から好きだった。
小学生の時に書いた作文を、担任の先生にみんなの前で褒められたうれしい記憶。
そのあたりから、文章好きの道が拓けたんだと思っている。

就職先は出版社を目指したけれど、最終で落ちてしまった。
無念さを抱えて、印刷会社に入った。
新人の頃、出版営業、というのが私の仕事だった。
聞こえは良いけれど、医療関係の出版社に朝と夕方、原稿を届けるのが主な役割。
「バイク便でええやん」
つらい立場だった。
そこそこやる気はあったはずだったのに、
「あー、今日あんまり仕事ないから、お茶でも行ってきて」
と先輩に言われ、いやいやそんなお茶ばっかり行くようなお金もないよ、
と家に帰って数時間過ごして、また会社に戻るようなこともしていた。

つらかった。
「仕事がない」
忙しそうに仕事をしている、少なくともそう見える人たちがうらやましかった。
何しにきたんだろ、私何してんだろ。
書くことがしたかったのに。
その時は大阪のとってもお洒落な町、堀江のワンルームマンションで1人暮らしをしていたけれど、孤独で病みそうだった。

入社して半年もたたないうちに、週末開催の編集・ライター養成講座に通うことにした。
1か月分くらいの月給が飛ぶくらいのお金を使って。
毎週講座を受けて、課題を書くのは楽しかった。
上手に書けたら、金の鉛筆というのがもらえるのだけれど、なにがすごいって、1とか2とか。順位まで刻んである特別な鉛筆。
何本かもらって、同じ志の友人達にも恵まれた。

でも結局、どうすれば望む仕事に就けるのかの回答は得られなかった。

とりあえず、東京に行ったらなんとかなるのかな。
学生時代から付き合っていた彼氏も東京にいたので、上京を視野にいれはじめた直後だった。

会社の役員に別室に呼ばれた。

「社内報を立ち上げるから、その編集長になってほしい」

目からいろんなものが飛び出た。
なんで私なんですか?
もちろんライター養成講座に通っていたことなんて会社の誰にも言ってない。

「出版営業の経験があって、女性で、英語が話せる人を社長が探してる」

営業フロアで腐りかけていた私を、誰かが推薦してくれたようだった。
泣きそうだった、というか、この後トイレで泣いた。
これまで何度も隠れて泣いてたトイレだったけれど、
この時だけはうれしくて泣いた。

帰って彼氏に興奮気味で電話をした。
「私ね!本社に異動なんやって!編集長になるんやって!」
え、ということは東京こないん?
あ、うん。

結果的に、異動してすぐ破局したけれどそれはまた別のお話。

入社して、1年半年で私は社内報の編集長になった。
それから10年以上、走り続けた。
出張も多く、仕事は忙しく、社長にも随分しごかれた。
入稿してもすぐやってくる次の企画会議。
毎回毎回、そびえるエベレストに臨む気持ちだった。
立ちはばかる壁は高く、道は険しく、上って見た景色は爽快だった。

社内報のファンは増え、経団連の賞なども受賞した。
大変でしょう、とよく言ってもらったけれど、
あの仕事がなくて孤独だった時を知っている以上、この境遇のありがたさを身に染みていたので、大変だなんて思わなかった。
難しい事ばかりだったけれど。

あのつらさを知っているからこそ、踏ん張れた。間違いない。

そして高齢出産のリミットあたりで子どもを産んで、次の生き方をしようと決心し、起業した。

仕事に捧げた20代から30代前半、本当に幸福だった。
あの時経験した全部が、分厚い層になって私の背中を支えている。
編集長になってからもつらいときは机の下やトイレで泣いていたけれど、
一度も投げ出さなかった自分がいた。全力投球してた。

そんな若かったころの自分を思い出しながら、さて。と、背筋を伸ばして自分のやるべきことをしっかり、やっていきたいと思う。

おわり


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