【中国日誌】999日目 24.5.18

999日の積み重ねで、私はこの中国の地に立っている。いや、座っている。中国に着て、いつの間にか、生活するのにもそこまで頭を使うことがなくなり、この人生の中でも特殊な状況が、常態化し、新鮮さや、希望といったものが、沈静化してしまった。今は、また、中国とは、関係のない、新鮮な、経験や知識を、求めている。これも、中国での経験が、積み上がった結果であるのだろうが、結局のところ、どこにいっても、同じように、慣れて、刺激が少なくなる。これは、積み上がった結果、ゆえに喜ぶべきなのだが、心は、虚しさを隠せない。積み重なりに、意味を求めているのである。中国語も、ピアノも、精神状態も、余裕も、知識も、経験も、ありとあらゆるものの、レベルが上がったのは、間違いない事なのだが、いまいち、実感がもてない。なぜなら、今の私は、ここにいる、ここにいる私は当たり前に、ここにいる。故に当たり前の現在。現在の状態は、すでに実現されたことなのだかっら、私にとっては、当たり前以外の、何者でもない。紆余曲折で現在という状態を実現しているのであるが、ここにいる私にとっては、いくら偶然の影響が大きかったとしても、辿ってきたルートは一本道なのである。過去は、一本、今の私からすれば予定調和なのである。私とは、常に、当たり前の中に生きている。今の私にとって、10年後の私は、当たり前ではない。しかし、10年後の私にとって、10年後の私は当たり前にそこにいる。なぜこうも、得られるものが増えても、厚みが増しても、無力さを感じるのだろうか。私は、特別な何者かになりたい。特別なとは、私にとって、特別な、である。しかし、今の私は、常に、私にとって当たり前の私。よって、特別ではないのである。同じ私が、三つ並び、明日には、1が追加されて、4桁に。その自分の重なりがシナジー効果を生み、過去の自分にとって、憧れの今でありたいと、そう思うのであった。憧れに近づく私に感謝を。

朝4時に起き、支度と日課。1時間と45分ピアノ練習。スタバに行って、読書2時間。そのあと、12時より、中国語教室2時間。帰りしな、髪を切る。そして、ご飯を買って帰り、16時にアニメ見ながらご飯食べた。バンドアニメは、青春が詰まっていて、感極まって涙がでてきた。21時過ぎまでそのアニメを見て、21時半に寝た。

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