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#156:個性とは何か?-著作権の話

今回は、以下の本の読書感想文である。

システム開発から裁判へ

長年ITの仕事をしていると、システム開発プロジェクトが頓挫して裁判に発展したという話はよく聞く。ただ自分でその経験はない。

システム開発に失敗はつきもので、進捗遅延やコスト超過、リリース後のシステム障害、そしてプロジェクト中止など、ひと通り経験した。

これらの問題発生でプロジェクトはピリつき、早急にリガバリ策と原因追及、再発防止策までお詫びとセットで動かなければならない。

そこが長期化して擦り合わずに平行線を辿るとその末路として裁判に至るようだ。

裁判に持ち込まれるほど揉めたプロジェクトは担当したことがないものの、先程書いた通り、一連の失敗はひと通り経験している。

そのため、本の内容はかなり実践的に役に立つものの、あまり目新しい話ではなかったが…。

著作権、著作物とは何か

唯一、目新しいトピックだったのは著作権。

システム開発した成果物に著作権は認められるのか。そして、そもそも著作権とは何か。



著作権について、システム開発の契約書上で、開発委託元と委託先のどちらが権利となるかを条文に盛り込む交渉するのは通常なので、それは何度も経験している。目新しくない。

ただ著作権を裁判で争う場合、システム開発の成果物にそもそも著作権が認められるか、という根源的な問いになることは知らなかった。

前置きがまわりクドくて申し訳ないが(システム=仕事の話になると細かく書きがち)、要は著作権とは何ぞやということを初めて考えた。

著作権とは、作成者の著作物に対するあらゆる権利を保護するもの。著作物とは、作者の思想や感情が表現された文芸・学術・美術・音楽。

そして、コンピュータプログラムも含まれると著作権法には書いてあるらしい。

コンピュータプログラムの著作権

しかし、コンピュータプログラムにより思想や感情は表現できるものか。

一般的にはノーである。

では、コンピュータプログラムの著作権とは、何かと問われれば、その作成者の個性や独創性が表現されたものであるらしい。

効率的に処理するため、ユーザーに使いやすくするため、様々な目的はあるが、誰しもが同じように作るプログラムだと、そこに著作権は認められない。(そういう判例もある)

ただそこに個性的な、独創性のある工夫が認められる場合、(思想や感情はなくても)そのプログラムには著作権が認められて保護される。

ふーん、なるほど。

個性とは何か?

数年前、あるプロジェクトでひとりの孤高のSEさんに出会ったことがある。

20年以上のベテランで、とあるベンダーに所属していたが、普通のプロジェクトには入らず、ひたすら難しいプログラムの課題を処理する、専門家みたいな人だった。

全国各地で断られた服のシミを完璧に抜き取るクリーニング店のTV番組を観たことがあるが、それのプログラマー版である。

全国規模のベンダーに所属されてたので、全国のあらゆるプロジェクトから、プログラムの課題にぶつかったら彼が呼ばれる。それを超絶的なスキルで解決していく。そんな感じだ。

私の担当プロジェクトで、性能がどうしても出ないが、かなり肝となる複雑な処理があった。プロジェクトにいるベテランSEたちが苦戦して2、3週かけて検討したが歯が立たず、これ以上時間がかかると全体に影響が出る。

そんな時に、彼が颯爽と来てほんのわずか2日くらいで解決してすぐに去っていった。

出来上がった彼のコーティングや設計は、よくある標準的なものであり、一見すると無個性にすら見える。ただその組み合わせ方が絶妙かつ全く無駄がなく、結果、問題の解決に至った。

プロジェクトにいる全員が唖然としたのを、今でもよく覚えている。


話を戻そう。

彼は圧倒的な専門性(個性)を発揮した働き方をしているが、彼のアウトプットは恐らくだが著作権は認められないような気がする。

つくづく個性とは何かを考えさせられる。

それがこの本を読んで思い出した、「著作権と個性とは?」の話である。 

長文をお読みいただきありがとうございます。

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