見出し画像

#171:わたしのキャリア-後半

ごく普通の40代会社員のキャリア振り返り。
前回(↓)からの続き。今回は後半戦。


入社15年から19年(海外-転職まで)

新しい部署に馴染み始めた折、約1年海外でプロジェクトを担当する仕事が舞い込んできた。
社会人になって2度目の大きな転機だった。

通常業務に英語力は必要なかったが、海外や英語を学ぶ部署の自主取組のようなものに所属していたため、この時、私にお鉢が回ってきた。

マレーシアの現地法人で約1年、英語や現地のビジネスオーナーやインドのベンダーなどに苦戦しながら、プロジェクトマネージャーとして仕事をやり切った。単身赴任となり、またまた妻に負担をかけて、幼い子供には寂しい想いもさせたが、その分だけ仕事に全力投球できた。

(過去に書いたマレーシアでの仕事の話↓)

この経験で2つ学んだのは、自分の職務適性はプロジェクトマネージャーであることと、もう一つは、新たな環境に飛び込んで適応するのが自分の強みでありワクワクするという気付き。

職業PM

日本のIT業界、特にユーザ系の会社だと職務の境界線が曖昧だったりする。IT何でも屋として働いてきたが、海外で自らの役割をはっきりと宣言する機会があり、自分はPMと名乗るのだと改めて気付いた。

新たな環境への適応

そして、マレーシアの現地法人に飛び込んだ時は全く異文化、企業規模も異なる環境だったがこの違いを楽しめている自分に気付いた。過去人事部の異動で挫折した記憶しかなかったが、新たな環境への適応について、完全にその苦い記憶を上書きすることになった。

最後のプロジェクト

その強みを意識したこともあり、帰国後、この会社で集大成となる約10億規模の別のプロジェクトを担当する機会が転がり込んできた。

当時はまだオンプレで導入されることが主流であったパッケージだったが、国内でほぼ初めてSaaS型で導入する方向にするため、社内で働きかけてそれができる導入パートナーを選んだ。

ほぼ思い通りにプロジェクトを進めることができて2年間でリリースまで完走した。進捗遅延やらリリース後のトラブル対応など、予め多少は想定される困難もあったが、終わった時は完遂した充実感が強くて、だいぶ燃え尽きた。

その直後、転職の誘いを受けることになった。

転職(社会人19年目から現在)

転職のキッカケやら経緯を詳しく書くと、もうひと記事書けてしまうが、簡単に振り返ると、以前担当していたプロジェクトで一緒に仕事をした人から転職の誘いがあって転職に至った。

(以前書いた転職の経緯など↓)

18年半勤めた会社を出ることは、やはり自分のキャリアにおいて最大の転機であった。かつて2、3度訪れた転機で学んだことを総動員して新たな職場でチャレンジすべきか、このまま、今の会社に残って仕事をするかかなり悩んだ。

それまで全く転職を意識したこともなく、割と幸せに仕事人生を過ごしてきた。人事部で鬱になった時でも現場に戻ればという想いがあり、その当時ですら転職は選択肢になかった。

初めて転職というキャリアの選択肢が現れて、最終的にそちらを選択したのは、前職の最後に思い通りのプロジェクトをやり切っていたことも大きな要因だった。

今でも前職の多くの上司や同僚に感謝しているし、実際よく会ってお酒を飲んだりしている。

転職後

そして転職してもうすぐ3年が経つが、幸いにも自分にとっての転職は成功だったと言える。

新しい環境でチャレンジもあれば、過去の知識や経験をうまく活かせることもあり、概ね日々充実した仕事生活を過ごしている。

(何回か振り返っているが毎回ポジティブ↓)

自分のキャリアを振り返って

当初、この章だけ書いて記事にしても良いかとも思ったが、実際のありのままの出来事をつらつら書く方が良いかと思い直し、この長文に。

改めて自分のキャリアを振り返ってみると、全てが「行き当たりばったり」でしかない。

何か目指す目標やキャリアがあり、そこから逆算してステップアップなんてことは全くない。

入社した会社も、与えられたプロジェクトや海外の仕事も偶然が重なっただけ。周りや上司もたまたまその仕事を割り当てられる相手として私しかちょうど空いてるのがいなかっただけ。

それらの変遷の中で、自分には何ができて何ができないのかについて、20年経つと自分にも少しだけ見えてきた。それが転職の時にシリアスに内省して、ようやく分かったことである。

なので、わたしのキャリア観は「実際に歩いてみないと分からないはず」というものである。

同期のプログラムをコピペして怒鳴られてた人間が20年もITと名のつく仕事でお金を貰い続けるなんて、当の本人でも想像できていない。

歩いてみないと分からないのだから、とにかく歩き始める。そして、ダメだったらその時点で軌道修正する。結局、たぶんそれしかない。

そのためには訪れる転機のようなものには、「とりあえずの乗っかってみて、楽しめるだけ楽しんでみる」というのも自分の中で暗黙的に決めているキャリアの方針のようだ。

人事部への異動も、マレーシアの仕事も、転職の誘いも全て乗っかってみて、失敗することもあるし、大いに糧になることもある。ただ確実に言えるのは、どれも楽しむつもりで前のめりに突っ込んだので良い経験になったと思う。

とりとめのない振り返りとなった。

要するに、最初から無計画なキャリアだったし今もそれは相変わらず。でも、その巡ってきた仕事の楽しい面を捉えて「乗っかって」みればそれなりに満足度の高いキャリアとなるかも、という話しでした。

キャリアとは単なる軌跡(自ら歩んだ轍)でしかないので、それを肯定するか否定するかは、自分の判断のみ。その正解のない選択の数々を振り返って全肯定するには、自らその選択を正解にしてしまうことしかないように思います。


改めてこんなに大変長い文章をお読みいただきありがとうございます。


#わたしのキャリア


この記事が参加している募集

転職してよかったこと

サポートなんて恐れ多いので、代わりにコメントいただけたら嬉しいです。