見出し画像

#240:家事で癒される

独身時代から結婚して10年近くは、家事には全く無頓着であった。そんな自分がいまや家事により心が整うまでになった。変遷を書く。


独身時代、結婚10年(戦力外)

独身時代、家はただ寝る場所という認識であり、自炊は当然しないし、洗濯も掃除などについてはほぼ意識したことがなかった。(…いま思うと、まあまあぞっとする部屋だった気がする)

結婚しても家事に対するモチベーションは湧かずその結果として、共働きの我が家では家事分担について妻と何度も衝突した。

当時を振り返ると、全て我が身の未熟さ故に妻の真っ当な主張を正面から受け止めきれないことが衝突の発端であった。

家事ダメ夫であった私が当時考えていたのは、まずなるべく家事をやりたくないということ。

とはいえ、(怒られたくないので)最低限の家事を行うものの、中途半端なやり方をして仕事を増やすのでその点にダメ出しされては不貞腐れる。そして、また家事へのモチベーションが下がる。

最悪の家事嫌いループにハマっていた。

まさに共働きのパートナーとしては幼稚で、家事戦力外の時代であった。

家事能力の育成

そんな家事ダメ夫を見捨てず、少しずつ教育していったのが妻である。

正直私の家事エピソードは誰の参考にもならないと自負してるが、妻がダメ夫の家事能力を引き出す顛末は世のご夫婦も参考になる部分かと思う。

ひとつだけポイントを挙げるなら、如何に夫の自主性(主体性)を引き出すかだと思う。(育成された立場で偉そうに言うことではないが…)

子供と一緒で「勉強せよ」と繰り返し言われるとやる気がなくなるように「家事せよ」と言われても響かない。自らやろうという気にさせること。

例えばミールキットの宅配を利用して、私でも簡単に夕食が準備できるような環境が整えられた。

これがやってみるまで分からなかったがキットの指示通りやれば10分〜15分で料理初心者の私でも夕食が作れる。その甲斐もあって帰りの早い日は私でも夕食を用意出来るようになった。

拙い料理でも出来ると嬉しい。そうするとまたやろうという感じになった。

それをきっかけに、料理、その後の洗い物、食材の買い出し、ゴミ捨てなど、徐々に家事を担えるように変わっていった。

どんなに私がダメでも粘り強く褒めたりすかしたりしつつ、妻は私の家事能力を育成してくれた。とても我慢強く見守ってもらった気がする。

そのうちにミールキットなしでもネットのレシピを見ながら少しずつレパートリーが増えた。また季節の食材を使う余裕もできるとどんどん料理が楽しくなっていった。

コロナ禍で強化

そして、コロナ禍になり在宅勤務が増えた。家で過ごす時間と食事を作る頻度が増えた。

そのタイミングで、もう1段階ギアが上がった。なぜなら妻よりも私の方が仕事が暇だったのだ。

時間に融通がきく方が家事を引き受けるという、当たり前の流れから料理の回数が増えて、自然と鍛えられた。

家族が昼間に居ることも多く、すると短時間で昼ご飯を作って食べたら仕事に戻る必要があった。その過程で、悪かった手際もだいぶ改善された。

家事無能から成長している時代(妻に育成されている時)は、妻に褒められたり、自らの成長度合いを実感することがご褒美で家事に励んだ。

しかし、コロナ禍で日常的に料理や家事をすることで、ようやく生活者としてやるべきこととして家事を当たり前に(特にご褒美などを意識することなく)こなすことができるようになった。

家事で癒される

そして、いまは家事、特に洗い物等をしてると、心が落ち着いて静かで癒されるようになった。

食器を洗う時、水が流れるのが良い。またお皿やコップから汚れが洗い流されて行く様子を見て、自らの心もすすがれている気がする。

無心に料理を作っている時も心は穏やかになる。

なので、家事すら手につかないような時は相当に心が荒れていると自ら判断できる。そんな自らの調子のバロメーターとしても機能している。

まあもちろん洗い物が面倒で何とも手のつかないこともある。そんな時に妻が洗い物をしてくれると、いつにも増して感謝の念が湧く。

何だか誰しもが行っている生活(家事)について大袈裟に書くことでもないような気もするのだがまあ本当に全く出来なかった。そして、やるようになると、そうなって良かったとつくづく思う。

つまり育て上手な妻にはとても感謝している。

サポートなんて恐れ多いので、代わりにコメントいただけたら嬉しいです。