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#170:わたしのキャリア−前半

誰かに自慢できるようなキャリアではないが、仕事を始めて21年経って、今の仕事が楽しい。

またこれまでのキャリアを振り返って、山あり谷ありではあるが、その時々を楽しみ苦しみ、自分で言うのもアレだが、良い轍(わだち)になっていると思う。紆余曲折が見える轍だ。

ごく普通の40代会社員のキャリア振り返りには凄さはないが、程よい小並感と平凡さに少しはシンパシーを持って読んでもらえたら幸いだ。

(書いてるうちに長くなったので、分割しました。今回は前半です…それでも長いです。)


1社目の入社(2002年)

就職氷河期と言われる時期に、不真面目な学生だった私は就職活動で出遅れていた。文系出身でIT系企業を漠然と目指していたが、準備不足も露呈して、どの会社も面接を突破できない。

もうこれはどこも受からないのではと諦めかけていた時、たまたま受けた保険系のシステム子会社の面接が上手く進み初めての内定を得た。

いま振り返っても何で採用されたかは、よく分からない。混沌とした採用基準や採用過程に救われたとしか言いようがないが、その後、18年半勤めることになる最初の会社に入社した。

私は、新入社員の中でも落ちこぼれであった。導入研修で同期のプログラムをこっそりコピーして提出してバレたり、研修用プログラムを本番環境に引き上げようとしたり(わざとではなく無知のあまり)で講師からマジ切れされた。

この仕事は全然向いてないと思ったし、またITに限らず、社会人としてもかなりダメだった。自覚もあったので、仕事に真正面から向き合うこともなく、逃げ腰のまま、何とか小さいプライドを守りつつ過ごしていた。

入社5年から10年(プロジェクト)

そんな悶々とした5年が過ぎた後、担当してたシステムが再構築することになった。その時の再構築プロジェクトが最初の転機だった。

ニッチな分野のシステムだったこと、前任者が2人ほどもう退任や異動で居なくなったことで既存システムを分かるメンバーが私のみのためプロジェクトの重要な役割を任された。大事な仕事に抜擢されたことで心に火がついた。

トータルで2、3年に及ぶプロジェクトだったが、終電を逃してタクシーを捕まえて帰ることも多く、まさに仕事漬けの日々。しかし任されたことが楽しく、必死に喰らい付いていた。

ここで先輩達、一緒に働いたコンサルやベンダーの経験豊富なベテランの人達から、みっちりITプロジェクトの仕事の基礎を叩き込まれた。そして、今まで主にやってきた運用保守の仕事と今回のプロジェクトが頭の中で繋がって、点が線となりそれぞれの仕事の意味を理解した。

このきつくも楽しい日々を乗り越えたことで、多少の自信もついて仕事への姿勢も前のめりに変わったと思う。

入社10年から15年(異動-鬱-異動)

この前のプロジェクト仕事で周りからの評価も上がり、ちょっと本人も調子に乗っていた。

そんな中、長らく所属していて部署から人事部に異動となった。システム開発や運用の現場とは全く違う仕事に戸惑いつつ、最初は意気揚々と新鮮な驚きを楽しんでいた。

しかし、1年も経たないうちに鬱と診断されて会社に行けなくなった。今振り返ると、人事の抽象度の高い企画業務に全く適性がないのと、当時の直属がクラッシャータイプ(自分も含めて5人、6人が休職や退職)だったことにより、全くついていけなかった。典型的な挫折。

ちょうど子供が産まれて一年足らずの時でもあり、当時は妻にもだいぶ迷惑をかけた。共働きの我が家では保育園に息子を預けていたが、鬱で会社に行けなかった時は、息子の送り迎えで外に出る気力すら持てなかった。家事も育児も完全なる妻のワンオペである。この時のこともあり、未だ妻には頭が上がらない。

3ヶ月ほど休職した後、上司の件を考慮してもらって違うチームで復帰した。人事部には、そこから1年ばかり在籍した後に、早々に別の部署へ異動した。なので、人事部には挫折の苦い記憶しかないものの、ここで学んだ知識や自らの挫折はその後のキャリアに活きている。数年は当時を思い出すのさえ辛かったが、今では、こうやって冷静に振り返られるまでになった。

次の異動先ではシステム開発や運用保守があり元に戻った感じだが、新たにその担当システムの業務知識をイチから身につけるため、全くの再スタートだった。

最初はなかなか結果も出ず、地道にリハビリのような日々だったが、そのうちに年次も中堅の年を迎えていたので徐々にリーダーのような仕事も担当するようになった。少しずつこの部署でも地盤を固めるような2、3年であった。

(後半に続く)

#わたしのキャリア

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