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マイ・デイアレスト・アメリカ 7

サンクレメンテでは、ホームステイをしている私達は、午前中は教会の教室で英会話の授業を受け、午後は近くのビーチでプラプラ遊ぶ毎日を過ごしていた。教会で英会話を教えてくれた先生は、年配のジョンソンさんという男の人で妹さんと二人で暮らしていると自己紹介をしてくれた。妹と二人?まだ若造だった私は、年をとってから兄弟で暮らす?なんて考えもしなかったことだった。この人は、人生の負け犬なのか?などと不埒にも思ったものだ。今思うと、人生はそのようなものだ。すべての人が幸せな結婚生活を人生の最後まで送れるわけではない。将来は何になりたいか?お決まりのような英会話レッスンのセンテンスに、詩人になりたいとこれもまた夢想のようなことを平気で話していた。私は高校3年生で、もうすぐ受験もしくは進路を決めなくてはいけない年頃なのに、どうしてそんなあさはかな会話ができたのだろう。友達は公務員試験を受けたり、銀行への就職を考えたり、私にはそれがまるで夢のないようなことに思えたが、彼女らはしごくまともな高校生だったのだ。今でもあの小さな教室で詩人になりたいと大きな声で発表した自分を覚えている。午後は、ビーチに。そして、時間がくるとホストファミリーがそれぞれ迎えにきてくれるという1週間だった。カリフォルニアのビーチでは、多くの人がサーフィンをしたり、ビーチバレーをしたりして、まるでまさに映画の世界のようだった。初日、まるで泳げない私は半袖のワンピース(でも、ジャージみたいな布でできた、簡単なもの)を着て、浜辺に出ようとしたら、コーデイネーターのナンシーに止められた。そんな恰好でビーチに行く人はいないと。みんなの前でああだこうだとかなり激しくいさめられた。やはり、水着がタンクトップか、Tシャツか。それほど変でもないし、日本では着ている人もいるようなものだったが、やはり変だったのだろうか。ビーチで食べた大きなバケツ一杯のケンタッキーフライドチキンも思い出す。こんなに大きなバケツに入って売っているのかと思った。そう言えば、その後遊びに行ったナンシーの家でスーパーから買ってきたぶどうを皮のまま食べている彼女を見て、かっこいいと思った。食べる?と訊かれたがぶどうを皮のまま、むしゃむしゃ食べる習慣がなかったので遠慮した。アメリカ人は何をやらせてもかっこいいのだ。だから、ださいジャージのワンピースでビーチに出ようとした私は、アジア人の田舎もんなのだろうな。さらに洗面所にはアクアフレッシュの歯磨き粉があり、(その頃はまだ日本に上陸していなかった。)こんなきれいな3層がでてくる歯磨き粉がこの世にあるものなのだとさらにアメリカへの憧れを強くしていくことになったのだ。

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