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『PERFECT DAYS』〈流行〉文化の諸相

2024.2.7
仕事終わりに映画『PERFECT DAYS』を観た。

映像が綺麗だったのが印象に残ったが、何よりラストの役所広司の演技が凄まじかった…
と、まあ第一印象はこんな感じだったが、考えれば考えるほどいろんな感想が出てくるのが物語の良いところなわけで(というか良い物語の条件がこれなのかな)。

以下に、ゆっくり考えたことの記録を書きたいと思う(ネタバレを含みますのでご注意を)。

モダンの街/レトロの町

 役所広司演じる平山は、東京のトイレ清掃員として働いている。江東区の古びたアパートに住む彼は、朝起きると布団を片付け歯を磨き、髭を整えて家を出る。通勤中、大通りに出たところでスカイツリーを覗きながらカセットをかけノリノリで出勤。仕事の休憩中はモノクロのカメラで自然を撮影したり、仕事終わりは浅草の地下街で酒を飲んだりと、充実したような毎日を送っている。

 そんなある日、家出した姪のニコが平山のもとにやってくる。今までずっと初老のおじさんの日常を見せられていた観客は、ニコがやってきてはじめてそのおじさんを相対化することができる。
 例えば、車内でカセットを聞いている場面。カセットから流れてきた曲をニコが「Spotifyにもあるかなあ。」と言ったのに対し、「どこにあるのそのお店」と応える姿はなかなか秀逸だった。
 ここにはSpotify/カセットという世代の対立があるわけだが、ニコが平山の仕事を撮影するスマホのビデオと、平山が普段使っているモノクロカメラも同じような対立項として挙げられる。

 だがこの作品を単に世代の違いが描かれた映画として消費してしまうのは時期尚早である。仕事終わりに行く浅草地下街の飲み屋は、浅草駅のコンコースと目と鼻の先にある。浅草地下街とは1955年に出来た日本最古の地下街であり、コンコースの新しく綺麗な雰囲気とは正反対の様相を醸し出している。また、平山の住む古びたアパートはスカイツリーの姿が否応なく目に入ってくる。
 このように見ていくと浅草駅コンコース/浅草地下街、スカイツリー/ボロアパートという対立も通底していることがわかる。これを先ほどの対立項と合わせるならば、モダン/レトロという系列が見えてくるだろう。本作品は、モダンの街としての東京と、レトロの町としての東京の双方が描かれているのである。

〈流行〉するレトロ

 では、このレトロ趣味は具体的にどのように描かれているのだろうか。

 ニコは平山から、平山のものと全く同じカメラを過去に受け取っている。また、平山の古本は借りていくし、60-70'sのカセットの音楽を気にいる。音楽に関しては、平山の同僚タカシが通っているガールズバーの店員アヤも気に入っていた。
 また、タカシと共に入ったレコード・カセットショップでは、平山のカセットが1つ12000円だと言われる。理由としては、最近カセットが流行っていて特に70'sのものが人気だからだそうだ。

 レトロなものが若者に愛され、流行商品としての価値も与えられる。モダンなものは言わずもがな流行の流れの中にある。こうして見たとき、モダン/レトロという対立は〈流行〉のもとに同一化されるのである。

再開発の陰

 最後に、モダン/レトロおよび〈流行〉を描いた本作品がいかなるメッセージをもちうるかについて考察しよう。

 先ほど、若者とレトロとの接点を確認したが、一方では平山とモダンとの接点も見られる。仕事であるトイレの清掃においてである。
 トイレの清掃と聞くとかなり汚いイメージをもつ人も多いだろうが、平山の場合は少し違う。平山の働く「The Tokyo Toilet」はクリエイターたちによるデザイン性の高いトイレが特徴となっている。

 そのうちのひとつ、代々木深町公園で平山はホームレスを見かける。そのホームレスは奇怪な動きをしているが周りの人間は誰も目にくれない。本作品においてホームレスは透明化されているのである。
 ではこのホームレスは何故デザイン性の高い綺麗なトイレのある公園にいるのだろうか。答えは簡単、もともとこの公園に住んでいたからである。流行、現代化の波の一部として行われた「The Tokyo Toilet」のトイレ設置はホームレスの居場所である公園の再開発であった。再開発により居場所の変容を余儀なくされたホームレスは、その異質性の反動として周囲から透明なものとして受け止められる。〈流行〉および再開発が社会的弱者を排除するのである。

 1人の素朴な初老の男性の日常を描いた『PERFECT DAYS』は、若者のレトロ趣味を逆照射した。だがその〈流行〉は、再開発による弱者の排除によって贖われるものだったのである。


参考:

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