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知識は力なり。

こんにちは。

商品開発のお話の続きです。

タイトルは、頭でっかちのことではないですよ。
イギリスの哲学者の言葉ですが、アメリカ映画やドラマでもよく使われる言葉です。

余談ですが、私は、
「知識は最高の接客なり」

とも思っています。

ここから先の話もそうですが、「自信と謙虚のバランス」をいつもテーマにしていれば、力の使い方は間違えないでしょう。
と、いつも自分に言い聞かせています。

前回は結局
「その商品が好きすぎるとオリジナリティを生み出すことが難しい」という話でした。

ん?そんな話だったっけ?!

ま、いっか。

そう「その商品が嫌いだとか、苦手だという人のために作ろう」と思うと、結構アイデアが生まれてきます。

実は私、モンブランが大好きなんですよね。

で、研究し始めるとなにが正解かわからなくなる。笑

もうね、モンブランはどこのを食べても美味しいんですよ。
いやぁ、本当に美味しいですよねぇ。モンブランて。

ということで、ずいぶん昔に、珈琲日記でモンブランを作る必要はない!
という判断を下しました。

美味しいモンブランを食べたいなら、世の中にいーっぱいモンブランあるので、お任せします!

という感じです。

で、珈琲日記の商品開発には、オープン当初からもう一つテーマがあります。

それは、「ドリンクとお菓子のペアリング」です。

どんなに美味しいお菓子でも、珈琲日記のコーヒー、紅茶と合わないお菓子は作らない。

珈琲日記はドリンク屋ですので。
主役はあくまでもドリンクです。

「珈琲日記が作るドリンク」というのが前提ですので、お間違いなく。
他店が焙煎したコーヒーや、セレクトした紅茶のことは関係ないです。

しかし、逆もしかりです。
どうしても提供したいお菓子に合うドリンクを提案・提供することも大事です。


ここまで、オリジナリティを生み出すための考え方をお話してきましたが、、
では、どうしたらその課題を解決していけるのでしょうか。

答えは

「科学」と「理論」です。

お菓子で言えば、

ふわふわの食感にするための材料はなんなのか。
サクサクにするための材料は、何と何を合わせた時の性質なのか。

逆に、卵黄や卵白の働きや、砂糖を入れる目的はなんなのか。
バターや粉の種類で食感がどう変わるのか。

焼成の温度や時間は、外気の温度や湿度とどう関係しているのか。

ガス窯なら、ガスの炎から出続けている蒸気(水分)ほどのくらいの量で、どのくらい焼き上がりに影響するのか。

ダンパーは、閉じるべきか開くべきか。。

あれ、、コーヒーの焙煎の話みたいになってきちゃったな。。笑

結局、「ものを焼く」というのは、お菓子もコーヒーも、よく似ているんですよね。

レシピは別としても、燻り燃焼の特性などが科学的、理論的に理解できている人なら、コーヒー焙煎もお菓子の焼成も得意な気がします。

オーブンの調整って大変なんですよね。

そういうことを考えると、やっぱりパティシエさんの技術ってすごいなって思います。

カフェの技術なんて、足元にも及ばないです。(度々失礼!)

でもね、技術って「慣れ」なんですよね。

「熟練」っていう言葉は「慣れ」を長年継続してきて「熟練」になります。
もちろん、その人の素質もあるので、熟練した先の仕上がりというか、着地点は人それぞれだと思います。

すごいのは「熟練」という言葉に隠された「長く継続し、反復してきた」という事実です。
しかし、やはり科学的な理論や知識がなく、「勘」だけを頼りに長年継続してきてしまった「職人」は、かっこいいのですが、自分のやっていることを言語化も数値化もできないことが多く、技術を後輩に伝達することができずに、残念ながら後継者がいなくなって廃業することが多いのも事実です。

やはり「継続は力なり」よりも
「知識は力なり」を優先すべきかと思います。

味覚なども同じだと思います。

仕事で毎日触れていれば自然と「慣れ」るのは当たり前ですが、気を付けなければならないのは、慣れれば慣れるほどに、お客様というかマジョリティとかけ離れて、人々に理解不能なところへ向かっている場合があります。

これが割と落とし穴なんですよね。

いつもどこを向いて仕事をしているのか。

ただ、お客様の求めるものばかり追求しすぎてしまうと大変なこともありますので、ポリシーは大切にしてくださいね。
だからこそ、お店のコンセプトというのは大事なんだと思います。

今、商品開発で、陥りやすいのは過剰なまでの「映え」狙いです。

映える商品。
これで、楽しいはずの商品開発に疲弊して辞めていった同業者をたくさん見てきました。

一度始めると、次々と求められて、新商品の販売が止まると、お客様も止まる。
そりゃ、疲れるわ。。

商品の見た目をシンプルに美しく仕上げるのは、何十年も何百年も前からプロとして当たり前の仕事です。

珈琲日記のほとんどのメニューは、35年前から見た目が変わりません。

見た目の美しさは、お客様の前に運ばれた瞬間に「美味しそう!」から始まり、口に運ばれた瞬間に「やっぱり美味しい!」となるのが正しい流れです。

同じ味なのに、見た目が悪ければ、口に運んだ瞬間「見た目のわりにはまぁまぁ美味しいかも。」という結果になります。

付加価値として、見た目の美しさは必要ですが、シンプルな美しさ以上に何か必要でしょうか。

そのシンプルで洗練された美しさの追求を忘れていないでしょうか。

なんか、毎回どこかで、話が脱線しているような気もするんですよねぇ。。。笑

ま、いっか。

許してください。

今日も書きたいこと書きすぎましたね。

いつもお読みいただき、ありがとうございます。

では、また。




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