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とらねこの共同マガジン『トランスミッションⅡ』

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トランスミッションⅠのミラーマガジンです。脆弱性が報告されたため設置しています。🌱参加者100名、フォロワ数150名、3000記事以上が収録されています。🌱コンテンツを広めたい方… もっと読む
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2023年3月の記事一覧

「2019-1210」

「2019-1210」 紙の上にアクリル、紙、ドローイング、ミクストメディア。 26×17cm #オンライン展覧会

未発表の小説「無明」からの一部抜粋

私が書いた未発表の小説「無明」からの一部抜粋です。 又、これは私自身の考察でもあります。 「……近代人から現代に至るまでの個人の陥った悲劇は思考の不徹底にある。所謂悟性的思考の限界が即個人の限界であるとは単に心情にのみに関る問題にすぎない。悟性的思考による観念は自己を保持する為の精神衛生上としての一種のニヒリストを造り出し、自らそれを演じる。  つまり、相対主義という衣装を身に纏う事によって他者や自らにも距離を置き、壊れやすい繊細な神経を防御する。さらに言えば、この自己欺瞞

「錬金術」

「錬金術」                           感覚の門を開きたるもの秘儀をすべて坩堝にて変容せり 滅々たる厳粛静謐空間の秘儀 死や眠りすら剥きだしにされたるおのが神経に震えつつ冷酷なる意に成す術なく従うのみ 魑魅魍魎共姿無き眼差しに怯えおののき凍りつくばかり   地獄の王その光景に憤怒と嫉妬羨望の閃光を放ち悶え狂い 自らの業火に灼かれ太陽黒点の涙となり銀河を超えて星々を砕く 嵐の如き流星群に四大の霊ども狼狽え乱心乱舞せり   人類と呼ばれしものそ

殉教

「殉教 」 生も死も変容にすぎぬ。これを言い切る者はこの世では死者となる。   意識自体は不可知なる実体であり、一切は意識である。   変容する意識の意識化、これが我々の生である。   一切の現象は比喩にすぎぬ。 全てを相対化して惰眠を貪り眠る者よ。 電光に打たれよ。雷鳴に怯えよ。 さては無の恐怖を味わえ、底無しの絶望を、孤独を、絶する悲哀を・・・・・・ 愛を知らぬ者共よ、自虐を存分に楽しめ。 地獄などは序の口だ、無明などとは笑止! 狂気とは眠りの夢、夢の眠り、自己喪失の

アニメの名言 編集室

こんにちは。 とらねこ村のアニメの名言編集室へようこそ。 ここでは、アニメの名言とその解説を紹介しています。 随時更新中…。

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【全員向け】慶応横浜、福翁百話の書き方(願書ネタ)。私が直接書けばこの100倍は魅力的な文章になります

(※)【メンバーシップ限定】となります。 いつもお世話になっております。 願書書きの依頼を受けて、一番頭を悩ませるのが、慶応横浜初等部です。 「福翁百話」を読み、「もっとも共感した部分と共感した理由」を保護者と志願者の関わりにおける具体的なエピソードを交えて書いてください。」 という部分です。これは「福翁百話」を読み込んでいないとうまい文章がかけないんですよね。 しかも、昨年から《》内が加わって「「福翁百話」を読み、《もっとも共感した部分と共感した理由を》保護者と志

「告知」

「告知」  人々が深い眠りに墜ちる時、その時に密やかに語られる言葉がある。本来、その言葉は昼夜に関わり無く語られているのだが、感覚界の鈍重な知覚のベールがそれを常に阻んでいる。ゆえに夢の中でさらに意識的に夢見ることが可能なほど強靭なる魂しかその霊妙なる言葉を日常のなかで聞くことは出来ない。    一体、何だ?さっきの妙に生々しく鮮烈な夢は。不思議な郷愁とおぞましさが混淆していた。            それにしても、この冷徹なおれがたかが夢ごときにおののくとは、、、。

自己紹介

4歳から 
ピアノを始めました。 3歳の時にピアノが弾きたくて親に懇願しましたが、周りに音楽をしている人が居ない事や、まだ3歳と言う理由で、いつも却下されました。 一年間騒いだ末、ようやく両親にアップライトピアノを買って貰い、ピアノを習い始めました。 父親 
沢山の画家や芸術家、文豪家などと親交があった為、小さい頃から絵画や美術品に囲まれて育ちました。ポートレートを描いて頂いたり、沢山の影響を受けました。 小学2年生の時
 桐朋音楽大学付属「子供のための音楽教室」に入室

私の「自伝」より抜粋

私の「自伝」より抜粋  おれの全意識を一変させたあの内的体験以来、おれは死者達のなかで生者となり、生者達のなかでは死者同然の存在となった。おれはおれの意識すべてを自他の魂の裡に溶解させた。一切の境界が消えうせることによっておれの肉体は軋み、悲鳴をあげた。獣を馴らすようにおれはおれ自身を制し馴らした。日常生活そのものが嵐となった。おれはその状態のなかで狂気の何たるかを思い知った。自己を律するためには言語による透徹した思考と不屈の意志力は必然であった。生来の相対的自己意識が無か

「血と泥と」

「血と泥と」 俺はコールタールのような大気の中をもがきながら進んでいる。  変質したのは空気だけではない。想念や感情や何気ない日々の光景、そのあらゆるものが粘り、へばり憑く悪意でこの俺を潰そうとする。  俺のひとつひとつの行為そのものに渾身の意志が要求される。  安らぎの眠りすら与えられぬ。何もかもが意識的な行為、必死の決意が普通であると、誰が信じえよう・・・・・・。  眩暈、吐き気、激痛が俺の全存在に猛威をふるい責めたてる。  ああ、俺はこの状態に何処まで、いつまで耐

とらねこ村<心理学配信室>

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分類その20「容疑者の範囲」

ミステリ分類考も20項目に至り、区切りが良いので、この回をもって最終回としたい。 さて、推理小説というものを大きく真っ二つに分けるという暴挙に出ると、私はやはり、クローズド・サークルであるか、そうでないか?という点に絞りたくなる。 どんな推理小説でも、登場人物以外の誰かが事件の犯人になる事はない。少なくとも私は知らないし、ラスト近くになって、唐突に出て来た人物であっても、登場人物には違いないのだから、もしもそのような推理小説が成立しうるのだとしたら、事件が解決しない物語だ。

分類その19「叙述トリック」

叙述トリックは、作者が直接的に物語の偽装に関わる、物議の多い手法である。 実際、クリスティが「アクロイド殺し」を発表した際、フェアかアンフェアかは喧々諤々の議論となった。 ノックスの十戒その1(犯人は、物語の当初に登場していなければならない。ただしその心の動きが読者に読みとれている人物であってはならない)にも、ヴァン・ダインの二十則その2(犯人や探偵自身にたいして当然用いるもの以外のぺてん、あるいはごまかしを、故意に読者にたいしてもてあそんではならない)にも違反している。

分類その18「捜査/聞き取り」

容疑者が一同に揃う「吹雪の山荘」もの(クローズド・サークル)とは違って、現実の殺人事件には選択肢が無数に存在する。何処から手を着けたら良いものか、雲をつかむようなものだ。通常、現場に残された証拠や目撃者を探す事から始める。やがて捜査の糸が真犯人や真相に繋がって行く。この、探偵や刑事の追跡劇を中心にするミステリも多く存在する。 安楽椅子探偵が協力者を手足のように使い、情報を収集するバターンもある。 犯罪捜査の古典と言えば当然「シャーロック・ホームズ」なのだが、その後の推理小説に