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とらねこの共同マガジン『トランスミッションⅡ』

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トランスミッションⅠのミラーマガジンです。脆弱性が報告されたため設置しています。🌱参加者100名、フォロワ数150名、3000記事以上が収録されています。🌱コンテンツを広めたい方… もっと読む
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2021年10月の記事一覧

「既知の浅薄な情報知に呪縛されし魂の群れ.....」

「既知の浅薄な情報知に呪縛されし魂の群れ.....」 昨今の自称識者と称する殆どの人物達は既知の情報知の洪水の中で溺れ、呪縛されている事すら無自覚である。 ......この様相は悲惨というより他ない....... その浅薄極まりない考え方、思想とも謂えぬ主観的自我の膨張、それらに捉えられ難破している事自体に無自覚の多くの若者達........ 如何ともし難い事だが、実社会の生々しい人間関係に於いて10年位揉まれれば衣食住のなかに取り込まれるであろう...... やが

「底なしの絶望」

「底なしの絶望」  個人の魂が底なしの絶望を味わって自滅せずに生きられるか? と。  かかる問い自体が「それは実際にその状況に為らなければ分からぬ」との返答が当然と思われる。  では、その底なしの絶望から希望や光を見出した魂も存在する、と言えばどうであろうか。 「そんなことは信じ難い、仮にそのような人物が居たとしてもその人物の思い込み、主観的体験にすぎぬであろう」と、殆どの人々は思うであろう。  人々の懐疑は尤もである。大体底なしという概念自体が疑わしく感じられるか

今日は阿部勉氏の命日である。

今は亡き故阿部勉氏と故天野哲夫氏。或る女流作家の受賞記念パーティー会場にて。 天野哲夫氏は「家畜人ヤプー」の実作者である。芥川賞の選考に落ちた中から三島由紀夫氏が「家畜人ヤプー」を見出した。 .....彼が家畜人ヤプーの最後の原稿を三島由紀夫氏の自宅に持参した当日に市ヶ谷の自衛隊駐屯地にて自決した.....。 ....会場を抜け出して阿部氏の自宅の近所にある居酒屋にて紹介される。世間の噂では変人扱いされているが深い悲哀を秘め、透明感があり、博識だが頗る真面目な人物であった。以

「己を鞭打つ行為」

「己を鞭打つ行為」 現在は自分自身の肉体を鞭打つような行為はしていない。 若い頃は建築現場で肉体労働をしていた。 帰宅してからが本職である絵を描く。 ただ、仕事を終えて帰宅するのは夜の12時頃は普通であった。 時には二日徹夜仕事をすることもよくあった。 私は絵は独学の為、徹底的にデッサンを欠かさずすることを自分自身に掟と課した。 時には肉体疲労の為に集中力が鈍る事があった。 通常の労働ではタフにはならない。それで私は他人の3倍位肉体を強靭にする為に働いた。 疲労して集中

ヴァレリー著「テスト氏」(小林秀雄訳 創元社)

ヴァレリー著「テスト氏」(小林秀雄訳 創元社) ヤフオクで「ヴァレリー著テスト氏」小林秀雄訳の初版本(昭和14年)が500円で出品されていたので落札した。 私は清水徹訳の「テスト氏」は随分前に読んだことがある。 小林秀雄の翻訳はどのようなものであるか、興味があった。 さすがに難しい旧漢字が多くて辞書を引きつつ読んだ。 小林秀雄はこの創元社から出版する7年前に翻訳、二三訂正して出版した、と書いてある。 31歳と言えば彼が孤軍奮闘しつつ批評活動していた時期である。 「テス

「日常の聖性と秘儀」

「日常の聖性と秘儀」 我々人間存在にとって「生存の謎」という問いを真摯に探求考察すればするほど謎は深まる。さらには謎が謎を呼び、仮に解き得たにしても現実に於いての問答はさらに紛糾する。此処には特に不思議はない。 あるのは単なる個々人のありとある個々人の個人的有り様、個々人の執着の問題に尽きる。 これら個々人の一切の意識状態をも空気を吸うように呼吸するように変容した者は日常のあらゆるものに聖性と秘儀をも知覚する。   ここには、いわゆる自由とか孤独といった類の概念は消滅

『書く事で人生変わる』負け組30代から商業出版・年収5倍・強運体質HSS型HSEたかみおの自己紹介

こんにちは。たかみおこと高橋美桜🌸です。 初めましての方に、自己紹介をさせてくださいね。 < 2024年1月15日 修正・加筆しています! > < 2024年3月13日 リニューアル! > 🌈 たかみおプロフィール1979年2月14日生まれ千葉県出身・千葉市在住 占いとスピと佐々木朗希が大好きな45歳(祝アラフィフ) 水瓶座O型・数秘33マヤ暦KIN72(黒KIN) 主な出没地は、ZOZOマリン・次に西武ベルド・他朗希のいる所(全国) 「推し活中心の人生」 元ジャニオタ

「日常の聖性」(未完)の序文より

下記の文章は或るサイトに投稿したものである。 で、或る人物からコメントがあった。その遣り取りが最後の方に記載されている。 ーーーーーーーーーー 「日常の聖性」(未完)の序文より 我々が何気なく観ているものの中には優れた芸術作品に匹敵するようなもの、光景が満ち溢れている。 日常の中に観ようと思えば誰でも見えるものであるが。 だが、最も観ることが難しいのは自分自身の内面であろう。 自分自身の言葉も自分が感受したものを自分の言葉に翻訳する。 その時に自分の意識状態、世界

「気について」

「気について」(2009-08-04記) 先日、友人のライブに行った。 気というものは我々が生存する限り常に発している。 命の源(実体)と同義である。 ましてや表現行為になればさらに気の発し方は強くなる。 自明だが、一人の表現ではその当人の気が中心になって現れる。 気には強弱だけではなく質もある。 ーーーーーーーーー 「気について」(1)   我々は日常の生活において「気」という言葉・概念を頻繁に用いている。  無論、殆どの人々はこの「気」というものの実体を知らずと