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北海道の廃線跡探訪 第13回 富内線(2/4)春日~穂別間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第13回 富内線の第2回です。

富内線春日から穂別まで鵡川に沿っていますが、並行道路がないため、いちいち、対岸の道道131号から道路橋を渡る必要があるので、時間がかかります。

なお、これからの投稿予定路線などは、下記の記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.春日~旭岡

1/5万地形図「富川」昭和52年編集に加筆

春日からは、路盤が農道として使われているところもあるが、ほとんどがヤブとなり、キリカツ沢川などにも橋の跡はない。

春日の先の踏切跡から旭岡方を望む 2017年9月撮影

イクベツ沢川から旭岡までは、民有林林道春日旭岡線に転用されている。
以前訪れたとき工事中だった生鼈川いくべつがわ橋梁は、道路橋のバロ沢橋に架け替えられ、河川改修もされたので痕跡はない。

バロ沢橋より旭岡方を望む 2017年9月撮影

橋の先の山側に、コンクリートの擁壁や枕木とレールで造られた雪崩(落石)防止柵が残っていたが、工事中通行止めとなっていた(工事はしていなかったが)。

林道転用区間に残るコンクリートの擁壁 2017年9月撮影

やむをえず反対側の旭岡方にまわってみると、鹿よけのゲートがあった。
しかし、開閉自由との掲示があり、さきほどの場所まで行くことができた。
廃線跡の雰囲気が漂う未舗装道だが、途中の橋はすべて函渠に改築されている。

林道転用区間 2017年9月撮影

旭岡(旧・生鼈いくべつは、駅前通りにかつての駅の存在を感じさせるが、駅前商店(木下百貨店)などはすべて閉まっていた。
元の構内は、広い空き地となっている。

旭岡駅前通り 左にバス待合室 その奥が木下百貨店 2009年9月撮影

3.旭岡~栄

1/5万地形図「富川」昭和52年編集に加筆

旭岡から先の路盤も道路化されているが、道路脇に落石覆いが3か所残っている。
いかにも頑丈そうな覆いを撤去したり、道路用に拡幅したりするのは手間がかかるからだろうか。
今でも道路への落石防止の役割を果たしているように見える。
ここは正確には道路=路盤ではなく、道路はかなり改築されているのだろう。

最初の落石覆い ここは路盤=道路ではなく路盤は落石避けのところ 2009年9月撮影
2番目(手前)と3番目(奥)の落石覆い(3番目の落石覆いの写真は冒頭にあります)
2009年9月撮影

道路はキキンニの沢川の手前で途切れ、路盤も現れるが、鉄網ゲートにはばまれる。ここは鍵がかけられているので、入れなくなっている。

この先で、富内線旧鵡川町から旧穂別町へ入る。

栄(旧・似湾にわんは道道59号平取厚真線が鵡川を渡ったところにあった。
今では道道沿いにバス待合所があるだけで、駅跡は広い空き地となっている。
旭岡方の似湾川橋梁(川名は似湾沢川)も撤去されていたから、キキンニの沢川から入れたとしても、まではたどりつけない。

栄駅跡 2009年10月撮影

道道踏切跡から豊田方の路盤はヤブになっていた。

道道踏切跡から豊田方を望む 2009年9月撮影

4.栄~豊田

1/5万地形図「穂別」昭和52年編集に加筆

道道74号に戻り、仁和大橋鵡川を渡ると、農道となった再び路盤に出会えるが、やがて舗装道路となる。

農道区間の終点 栄方を望む 2009年9月撮影

カイカウニ沢川には、両側にコンクリートの廃道路橋があったので、路盤=新道と判断できた。

道路化された区間 カイカウニ沢川の橋より豊田方を望む 2017年9月撮影

ツドウの沢川にも橋の跡はなく、その先の農家のあたりで少し路盤は道路と離れるが、はっきりとは確認できない。
宮崎沢川三十点の沢川にも橋の跡はなく、路盤は道路化されているようにみえる。
踏切跡の先から路盤は山側に現れ、次第に高さを増していく。
ここにはコンクリート製の落石覆いが残り、両側とも入口はふさがれているが、道路からも見える。

落石覆い 2009年9月撮影

やがて平地が開けてくると、路盤がそのまま農道になっているところもあるが、ここも鹿よけの鉄網で囲まれている。

豊田駅近くにあった停車場接近標 2009年9月撮影

豊田(旧・杵臼きなうすは、郵便局のある駅前通りに雰囲気が残っているが、駅自体の痕跡はない。

栄方から豊田駅跡を望む 2009年9月撮影

5.豊田~穂別

穂別方のキナウス川に架かる杵臼川橋梁は道路橋に転用されている。
塗色は色あせているが、富内線で唯一残存する大きな鉄橋である。

杵臼川橋梁 2017年9月撮影

下路ガーダーに鉄板を敷いてあるので、クルマで通るとゴロゴロと音が響き、あたかも列車で渡っているような感じがする。

杵臼川橋梁 穂別方を望む 2009年9月撮影

鉄橋から先の路盤は、農家の敷地となり消失するが、道路との交叉地点からはヤブになり、並行道路もないためしばらく探索不能となる。

路盤は旧穂別町新興地区の南から、穂別市街で道道74号とクロスするところまでほぼ農道や道路に転用されている。

旧穂別町新興地区の道路化区間始点より豊田方を望む 2009年9月撮影
同地点より穂別方を望む 2009年9月撮影
道路化区間 穂別方を望む 2017年7月撮影

穂別は道道74号が、穂別橋で鵡川を渡った東北側にあったが、路盤は舗装道路、駅構内はふれあい公園になっている。

穂別駅跡のふれあい公園 2023年10月撮影

よく整備された、芝生が美しい公園だが、案内板には駅跡という説明はおろか、鉄道関係の記述がまったくない。

今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は穂別から富内へ向かいます。

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