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晴れパンの『不登校ママの自己紹介』

子の不登校と自身のメンタル低下が起こり、心の整理のためにnoteを始めた、『不登校ママ』を称する晴れパンと申します。

ここに来て、自己紹介を作成してみました。
1つの家庭の物語『行き渋り・不登校・付き添い登校』の一例として、ご覧ください。


《晴れパン一家》

パパ(43歳):営業職・スポーツ好き・声デカい・お酒好き
ママ(42歳):フルタイム医療従事者・適応障害治療中・HSP・不登校ママ
息子(小3):優しい普通の男の子・IQ高めの凸凹・発達性強調運動症あり・完全不登校
娘   (小1):基本強気・繊細さん(HSC)・母子分離不安あり・不登校傾向

不登校までの経緯

【息子不登校前】

もともと気持ちをあまり口に出さないタイプの息子は、学校のことを聞いてもいつも「ふつう」としか返さない子だった。
毎日学校に行って、学童にも行き、宿題も終わらせてきていた。

小2春頃、学童の行き途中の友達とトラブルがあり(ランドセル持たされた)、本人の意向もあり、夏休み以外は学童の利用を辞め、鍵っ子になる。

【息子(小2)不登校直前】2023秋

ママの帰宅前までに宿題をいつも終わらせていたのに、できなくなった。
やったと嘘をついたり、目の前でやらせても進まない。
そのうち、学校に忘れてきたと宿題を持って帰って来なくなった。

さらにその頃、動画とゲームの時間制限が上手く調整できず、パパの怒鳴り声が大きくなる。
ママもカサンドラ状態になり、一緒になって、声がけし過ぎてた。

不登校1ヶ月前から「学校に行きたくない」ということが増え、朝パパと言い争う息子。
幼稚園に娘を送るために先に出ていたママが、家に戻り、説得して車で学校に送っていったり、パパに内緒で週1で休ませたりしていた。
この頃から、自分のタイミングで登校したほうがいいんじゃない?と朝も鍵っ子になった。
学術発表会前だったので、その練習が嫌で学校に行きたくないんだと思ってた。
(まさか、不登校になるなんて1ミリも思わずに、、、)

【息子完全不登校】

発表会の翌週の月曜日、通勤途中に家から着信「ママ、お腹気持ち悪い、、、」えっ!!今から帰るね!!
これが3日続いた、、、(まずい、これは、あれだ)

そこから日記を遡らないと記憶がないほどに、ママも動揺。
仕事休めない。焦りまくり、、、
ここで、下手に学校休んだら戻れなくなるんじゃない!?
担任も「とりあえず連れてきて下さい。あとはなんとかしますから」
(子どもの事は学校の先生の専門だもん。それがきっと正解なんだ)

嫌がる、泣く息子を車で学校に連れて行き、置いてくる。
牛歩で校舎まで、1時間。
次の日は図書室まで。
その次の日は図書室〜途中から4時限目まで行けた。
先生は「普通に過ごせてましたよ」と言うし、これできっと大丈夫!
で翌週。
また、、「行きたくない」

「何が嫌なの?」『自分でもわからない、、、』そして無言。
見たこともないほどの無表情。見たこともないほど目がつり上がってる

あ、、、ダメだ。
この子の心が死んじゃう、、、

「少し休もう。いいよ、しばらくお休みしよう」ママが言った途端、
息子の目からホロホロと涙が出てくる。
嗚咽しながら一緒に泣いた。

【息子不登校休養期・年長ムスメ不安期】2023冬

息子は一人で留守番でいいと言ってくれたので、昼用のお弁当を作り仕事に出る。
ムスメは私と幼稚園に先に出ていたので、しばらく内緒にしていた。

仕事中ママに何十回もの電話が来る。
「ママ暇なんだけど、何をすればいいの(;_;)!」
学校の時間帯は動画もゲームもするなとパパに言われていた。
一人で家にいて、、何をしててと言えばいいのだろう。
可哀想で、動画やゲームの時間をこっそり長くしてあげた。

登校や動画・ゲームの方針についてパパとぶつかり、泣くママ。
そんな家庭の不安感にムスメも気がつき、不良娘になった。

『お兄ちゃんばっかり休んでてズルい!!』
『私も早く幼稚園から帰りたい!休みたい!』

冬休み明け『私も幼稚園辞める。もう行かない』宣言。

【娘の母子分離不安&ママ適応障害発症】2024冬

2週間は自宅で祖母にきてもらい、普通に過ごして子ども達も頑張ってくれた。
でも、まだ娘は6歳なったばかりだし、冬は暗いし、ママはフルタイムで帰って来る。
遅く感じるよね。寂しかったよね。

突然、出勤前に娘のスイッチが入る。
『お仕事についていく!!(行かないで〜!)』
娘の母子分離不安発症。

もうわたしも、今後の仕事のことを考えるのと、泣き叫ぶ手を引き剥がして家に置いてきた娘のことが頭の中でリピート再生してパンク💣
ママ適応障害発症(不眠・動悸・思考鈍化)、半年間の病気休業取得。

一旦養育の目処は立ち、子ども達もママと一緒で安心の生活。
そのまま冬を越え、卒園式も欠席し、春を迎えた。

【子ども達回復期・不登校継続】2024春

娘の入学が1つのターニングポイントだった。
この時期のママはメンタルグラグラ、豆腐かゼリーかぐらい脆かった。

謎に入学式だけ行けた娘は、翌日からは学校に入れなかった。
メンタル脆いママも、付き添って登校ができない。
私自身がいま、、一番の『不登校』なんだ。

娘と給食だけ食べに行った別室登校も、学校内で聞こえる子どもの声が、家に一人置いてきた息子に重なり、涙が出てくる。

お豆腐メンタルのママは、娘の付き添い登校もできない。

もう、私だけで娘の登校支援はできないよ。
パパも仕事がある。

頼れるものは全部頼ろう。先生や福祉や行政。



《晴れパン一家の今後》

息子は学校に友達が居ます。
不登校1週間前に、嬉しそうに『親友ができたんだよ!ママ!』とキラキラとした目で教えてくれました。
それがどうしてだか、学校にもう、一歩も足が向きません。
友達は大事だから、、転校はしたくないそうです。

授業・学校のシステムに抵抗感・拒否感が強いわけです。
その特性は、発達の凸凹にあったんだと気がついたのは、完全不登校になってしばらくしてから。

娘はお兄ちゃんが行くなら、学校に行くかもしれません。
そこはもう、兄妹不登校あるあるで、非常に難しいなと感じています。

なので、『学校行かない選択』とか考え始めている、晴れパン一家です。

・自身の仕事は、今後の流れに身を任せ。

・この半年で取り戻した、子ども達の笑い声と笑顔を守るために、まずは焦らず生きていく。

・それからママ自身のメンタルを最大限に守ること。

(その姿を見せることで、「自分の心も守ってね」といつか子にも伝わればいいなと思い、無理はしません。そこは頑張ります(笑))

不登校の大変さ、必要な配慮はその家庭・子供ごとに違うでしょうから。
答えがないのがまた辛い。

同じ思いをされている皆様。
なんとかやっていきましょう。
ここで出会えたのも、何かの縁です。

人生に無駄なことなど1つもない。
生きていれば、いくらでもやり直しは効く。

わたしはそう信じています。




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