「不登校受容」という言葉はないのかな?
我が子は2人とも小学生で不登校。
noteで他の人の記事を読む時、なるべく同じ境遇を体験している人の記事を探して読む日々。
でもその日の自分の精神状態によって、読む方向性違ったりしませんか?
皆さんどうなんだろう。
〈これを読むとポジティブになれる!〉
〈今日はしんどい、辛いのよ〉
どっちを読みたいのか、分かれる日ってありますよね。
私は記事を書く際も、できるだけ、自分の気持ちを盛り上げる、良い言い方の言葉を選択するように心がけている(つもりです)
でも、どす黒いものが流れているときも、もちろんあるし。
それを吐き出しているときもある。
それを見て嫌な気持ちになる人もいれば、逆に共感してくれて、涙を流してくれる人もいるでしょう。
わたしもそうです。
最近、ママがせっせと仕事と称してPCにカタカタ打っていることが、実はブログだと小3息子にバレました。
なんで、バレたんだっけ?
なんか、自分も頑張ってることあるんだぜ!子ども達も学習がんばれ!
みたいな風にして言っちゃったような、、、気もする。
カタカタしている姿を見て、「みたい見たい!」と投稿前の内容を少し見られてしまうようになりまして。
隠すのもなんなんで、ちょっとだけだよ、、、と開放。
《不登校》とか《ちょっと前まで叱りすぎてた》とかいうワードに
ウンウンとうなずき、「そうそう結構前は怒られてた〜」と言い。
《夫婦で息子くんに感謝してる》とか《一家の大黒柱は君だったのか》とかの部分には、指をさして笑い😂
《ママは病んでいる》とかの部分に来たら、そーっと消えてった(笑)
そして、翌朝、また悪い夢見たとか言うし🌙
あなたは言葉で表現しないのかできないのか、感情が頭の中で夜中も忙しいのですね。
いや〜しかし、兄妹不登校はやはり難しいもので。
もう学校行くことを毎日確認したりはしないんですが、その代わり『学習は毎日しようよ』の約束が小1ムスメにはなかなか難しい。
今日に限って、息子はスタサプにハマったので学習出来てる。
そんな日に限って、ムスメはつまずいた途端にやる気0に。ママが教えると、それも嫌(嫌味っぽく聞こえるのかな?だって、教師じゃないもん)
じゃ、ひらがなの書き取りでもいいよ。
自分で好きな方選んでやろう?
それもイヤ。
いつもお兄ちゃんと一緒じゃないとズルいって、最終兵器のように使ってるのはあなたですよね💢
今日はダメだ。
離れよう。
ママもどんどん追い詰めていってしまう。
感情が止められない。
(ママに教えられるのもタブレット学習も嫌なら、学校行ってくれよ〜〜)
そんな負の感情で、自分が締め付けられていく。
これが今のモットーなのに。
不登校の理由として、息子の影響が大きいムスメ。
やはり、今の私の感情は不登校が不安症から始まった息子よりも、ムスメちゃんの方に強めに向かってしまうのよね。
今日はできるだけ物理的に離れて、自らを考えよう。
せっかく昨日は母の日でしたが。
もう今日の心は外の雨のように、ジメジメしている。
なので、見たいnoteの記事はそっち寄り。
同じように辛い・苦しい・悩んでま〜す、の記事を見ている方が心地がいい。
そんなときもあるさ。
みんな波がある。
毎日ポジティブに生きていられたら最高。
でもそれではいつかただの平坦になってしまうね(笑)
山は下るから、また登っていい景色が見られるときが来る。
だから、ネガティブな日があってもいい。
不登校という現実を、受け止めて進もうとやる気になるときもあれば、ちょっとしたことで一気に急降下、また戻る。
不登校を受容できるときは来るのだろうけど、本当の意味で受け入れるのは、もっともっと時間がかかるのかもしれないな。
ちなみに「不登校受容」と言う言葉は、ネット上ではHITしませんでした、、、(*ノω・*)テヘ
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