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Data is God!

Netflixが教えてくれた ”Data is God!”という言葉

5年前、シンガポールで開催されたCMOサミットに参加した経験が、私の人生やビジネスに大きな影響を与えました。このサミットは、アジア各国からのマーケティング責任者が集まり、INSEAD Singaporeで行動経済学の授業やディスカッションが行われ、GoogleのAPAC本部であるSingaporeオフィスで機械学習やアジアでのデジタルマーケティングの最新事例について学びました。

特に印象に残ったのは、Netflixのアジアマーケティング責任者が登壇し、「Data is God!」というフレーズを紹介したことです。彼はNetflixでのビジネスの進め方を説明し、このフレーズが同社の教義の一部であることを示しました。この言葉は、ビジネスの中心にデータを据える重要性を示しており、私にとっては強い共感を覚えるものでした。

その後も、「Data is God!」という言葉は私のビジネス哲学の一部となりました。データに基づいた意思決定は、効率的で効果的な戦略を立てる上で欠かせないものであり、この考え方は私の組織やプロジェクトに大きな影響を与えました。この経験は、私のキャリアにおいて不可欠な教訓となり、常にデータを重視し、その力を最大限に活用することの重要性を示してくれました。

上司の言っていることは本当に正しいのか?

私のキャリアを振り返ると、最初の2社はオーナー企業であり、最近の経験は100%出資のファンド系企業でした。これらの組織では、明確な絶対権力者が存在し、仕事がスピーディーに進む一方で、その権力者の判断によって非合理的な決定が下されることもありました。私は性格的にせっかちであり、全社の長所の部分が性に合っているようで、このような環境で長く働いてきましたが、同時にその非合理性に対して当然不満を抱くことも少なくありません。

私と仕事をしたことがある人であれば想像がつくと思いますが、私はそのようが不合理について基本的には一度は意義を唱えないと気が済まない性格です。このような時、主観的な思いではなく。データとロジックに基づいた議論が重要であると考えています。特に、絶対権力者が存在する環境では、感情や主観に基づく戦いではなく、ロジカルな議論が求められます。いくら絶対権力者といえどもバカではないので、ロジカルに提示された意見に対しては、より強力なロジックを提示する必要があるため、少なくてもその人物がなぜそのように考えているのかを理解できるようになり、納得はしなくても、ある程度前向きに意に沿わないことも取り組めるようになると考えています。

しかし、絶対権力者が存在する組織では、ロジックが間違っているにもかかわらず、上司の指示を盲目的に受け入れる人々が多いと感じています。このような人々を私は「Yes Man」と呼び、基本的には会社に貢献する人材ではないと考えています。。私は、組織の中で完全に権力に負けてしまう状況に疑問を投げかけ、そのような世界で本当に楽しいのか疑問に思っています。

データが上司の思いを超える世界

そんなことを感じている中で、私が聞いた言葉が「Data is God!」でした。この言葉には、英語の「God」の重みがあります。英語圏ではキリスト教が中心であり、Godは唯一であり絶対的な存在です。したがって、経営者が「Data is God!」と言うことは、自らの部下に対し、自身よりもデータを重視し、権力よりもデータの正しさを優先させることを宣言していると言えます。

私がこの言葉を初めて聞いた時、少なくとも私がマネジメントする組織では、自分よりもデータが重視される文化を築きたいと心から思いました。部下が自分よりも詳しいデータを持ち、予想もしなかったアイデアを提案すること、またテストマーケティングを通じて予想外の結果をもたらすことは、私にとって楽しく刺激的です。

一方で、部下が自分の意向に従ってデータを加工しようとする姿勢は、私は全く必要としません。私にとって重要なのは、「誰が正しいか?」ではなく、「何が正しいか?」です。データドリブン経営において、この姿勢は非常に重要であり、多くの会社がこの理念を実践できていないことが、データドリブン経営やマーケティングが注目される理由の一つだと考えています。

私の経験を通じて、会社がデータをどのように扱い、分析すべきかについて考察し、皆さんと共有したいと思っています。

【この文章は以下の文章のライトバージョンです。より詳細な議論はこちらでご確認ください】


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