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書の展覧会レポ【fuinifuku KAZE −心をゆさぶる駒井光明コレクション−】@筆の里工房

広島県熊野町にある筆の里工房で開催されている【fuinifuku KAZE−心をゆさぶる駒井光明コレクション−】に行ってきました。

筆の里工房パンフレット

今回の展覧会は、書家駒井光明氏のコレクション。戦後の書を中心に、ジャンルや作風に縛られず、駒井氏自身の美意識に基づき集められた作品が展示されています。

戦後の社会の荒波の中で、書家たちがどのようにあがき、試行錯誤し、書を発展させようとしてきたのか、あらゆる角度から考えさせてくれる展覧会でした。

今回は、展覧会の詳細とそこから考える書の未来、展示のあり方等について考えていきたいと思います。


本展覧会の面白さは、【誘導】にあります。

展覧会の構成は、その施設や在籍する学芸員さんの世界観や思いが表面化したものです。したがって、「この作品をどう見てほしいのか」「この作品の何に注目してほしいのか」最終的には「この展覧会を通じて来場者に何を感じてほしいのか」という主催者側の意図が明確に存在します。

ちなみにこの展覧会は釈文がほぼありません。文字や言葉を素材としている書道にとって書かれた内容は重要であるにも関わらず、釈文的な要素をできるだけ排除しようとしているのが分かります。

その代わりに掲げられているのがこちらです。↓

書を鑑賞する方法が書かれたパネル How to SYO

書を気軽に楽しむ、身近に感じるための方法として、体、音、色などの感覚を起点に、これまでの書作品との触れ合い方に一石を投じています。(まさに戦後の書の試行錯誤に通ずる!!)

このさまざまな仕掛けによって、「書を見る」という単純な行為から「書を味わう、鑑賞する」に変貌していくわけです。

実際に音を出したり、体でバランスを考えたりすることで、自分の感覚と作品の雰囲気が一致したり、または一致しなかったり…。

「この音の雰囲気の作品はこの中にはないな」
「展覧会を構成した人はこの音をどの作品と結びつけたんだろう…??」
「あ、この作品はこの音が合うかも!」

各ブースにはこのようなパネルが設置されています↓

パネル例)音と作品を結びつける仕掛け

ここで重要なのは、音がすでに用意されていることです。もし、

「この作品からどういう音のイメージができますか?」
「この作品の音をオノマトペで表すとしたら?」

というような質問だったら面倒で素通りしてしまいそうです。

しかし、音がすでに存在し、その音と作品を結びつけることは、自分で音を考えるよりも、より気軽に抵抗感なく取り組むことができそうです。

数人で来館されているのであれば、自分と他人の感覚の相違を発見し、自分の感覚を客観的に理解することも可能でしょう。


釈文がない状態で作品が展示されているのは、今回の展示作品が戦後の書だからだと思われます。
戦後の書は、書の歴史において「書とは何か」という問いに対して、あらゆる角度から検討がなされ、多くの実験がされた時代の書だということができます。
戦争、敗戦という経験を経て、今まで信じてきた価値や信念が崩れ去ったあと、芸術家たちはまた新たな芸術のあり方を模索しました。

「書の核は何か」
「西洋芸術と書の違いをどう埋めようか」

戦後は、激動の時代です。欧米に追いつき、追い越すことが日本のムードとして存在し、芸術界隈でもそのムーブメントが押し寄せてきます。
その中で書家たちが
「書を近代美術として存在させる」ために試行錯誤したのです。その先人たちのもがき、形跡がこの展覧会に詰まっています。

・書を線の芸術としてみてみよう
・書を色の芸術として捉えてみよう
・書を形やバランスの芸術として捉えてみよう

私たちは、日本語や漢字、日本語の表記方法を知っており、日本の文化や習慣を理解しているからこそ、書というものを「読もう」とするし、「知ろう」とします。
しかし、日本語や日本の文化について知らない人にとって、書を理解する出発点を「書かれた内容」にすることは困難が伴います。それは、現代の初学者においても同じです。書かれた内容よりも、筆を用いた線質の美しさや文字のもつバランス感覚の可能性を押し広げていくことは、戦後のグローバルの芽生えにとって必然だったのかもしれません。

奇しくも、欧米に対抗し、書を近代美術に押し上げようと尽力した書家たちのムーブメントは、書の新しい見方・捉え方を提示し、書の裾野を広げることに成功はするものの、書を造形の美としか捉えない風潮をもたらすこととなります。(このことについてはまた別記事で語りたいと思います)

そのような文脈、時代背景の中で、戦後の書家、そして書はそれまで築き上げてきた書の解釈を広げ、書をより近代芸術に接近させたと言えます。


あさきゆめみし… 篠田桃紅

作品を1つ紹介します。↑篠田桃紅の作品です。
篠田の世界観をより引き立たせるため、この作品だけは照明を落とした専用のブースが設けられていました。写真からもわかるように、全体が金箔で覆われています。向かって右側に文字、左下には篠田桃紅独特の図形のようなものが描かれています。突き刺すような線質、大胆な筆使い、抽象度の高い図形と文字の調和…。文字や言葉、意味などから抜け出し自身の美的感覚を信じながらも苦しんでいる…ようにも感じます。美しい。


書を鑑賞するには、そこに隠された時代背景は欠かせません。今回の展覧会は、その「時代背景」や「書の成立」をうまく利用し、鑑賞者を誘導しています。あえて釈文を置かずに注目させる観点を明確にすることによって、逆に内容を知りたいという欲求が生まれそうです。(そこもねらいだっかのか??)

最後に、図録に載っていた駒井氏の言葉を載せたいと思います。駒井氏の書への危機感がうかがえます。

書は、近いうちに滅びるでしょう。既に滅びているのかも知れません。
書家と称する人達や書道塾経営者は多いのでしょうが、果たして、その中の何%が芸術家なのでしょうか。1%もいないのではないでしょうか。

fuinifuku KAZE ― 心をゆさぶる駒井光明コレクション ―図録p104より

書とはなにか−
芸術家とはなにか−
書家とはどうあるべきなのか−

難問に挑戦し続けた戦後の書家たち。
今後の書はどうあるべきなのか、現代の書家が考えなければなりません。

まだ開催されています。熊野の筆を見るもよし!たくさんありますよ。ぜひ皆さん、行ってみてください。

書の世界は複雑で、さまざまな分野につながっています。
‐書の奥深さ、すべての人に‐
&書【andsyo】でした。


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