絵から文章へシフトの理由


世の中本当にロクでもない。

まぁ絵描きなんて絵その物にリソースを割くと潰される様だ。
これは絵自体には「攻撃力」が無いからだ。
更に言えば、見栄えで決まるなら暗記技術のハンコ絵の方が強い。
試行錯誤、取捨選択、そういう部分は素人には観えないのだ。
アナログセンスの独創性だって「ヘタ!」の一言で終わる、
そんな主観の世界であるならば、口の上手い審査員が権力を持つと。
コミュ力の世界に於いて同調圧力さえ形成してしまえば無関係。
割と下手でも印象操作で立ち回る事が可能であって、その逆も然りだ。
これが絵描きと言うジャンルであり、上からは良し悪しが判るが、
有象無象からは純粋に損得勘定が優先される。
それが絵というモノだ。

しかしプロになればそんな素人間の力学は減る訳だ。
まぁ若干は残るし、現場によっては逆に猛威を振るうだろう。
今のアニメほどの実力主義なんてコミュ力優遇の世界には無かった。
ファッションオタクが現場に居れば、むしろ有能な方が淘汰されるだろう。
そして、当時関わっていた底辺貴族は明らかにそれだった。

自分が底辺グループから地雷処理と勘違いされたのはそういう事だろう。
こちらの領分があのゴミ共から上位存在として介入できると思われた。
故に上手く行かないと結局は無関係なこちらに責任を押し付けたと。

「お前が下位なんだから責任負え!」と。


そもそもこいつ等、俺が作品見せる度
「真似だ! パクリだ! 観た事ある!」とふれ回る。
何日もかけた作品にレッテルを張り、潰すのだ。

要は自分の縄張りを余所者に侵略されたと感じて発狂するのだ。
なんせ、たまたま同じ本を既読だっただけで怒りだす連中だ。
主体が無いからファッションに依存する。
こんな幼児性で勝手に紐づけていたなら、何をやろうが妨害される。
非論理的な情緒で勝手に悪者にされてしまうのだ。

つまりこの手のファッションオタクはあくまでユーザーであって、
クリエイターとして高め合うのは不可能だった。

現実なんて無関係。


政治やデマ、暴力、声量と言った「力学」で全ては決定されるのだ。
下位に紐づけられた瞬間から便利なオプションとして利用されるだけ。
あくまで奴等の所有物であり、人権は皆無という事だ。
「宮崎勤のビデオ自慢」が有能の証明だろう。

ここを突破するには安パイと思われれば一生足を掬われる。
なにしろ平気で、

「自己犠牲しろ!」

「うぬぼれるな!」

「選民ぶるな!」

「カースト的にお前が下!」


社会生活、他人のプライバシーに踏み込んで平然とこう抜かす。
怒り狂い、眼を赤くして、涙目で見下し蔑んでくる。
もう出会った時から完全に奴隷扱いだ。

譲歩に譲歩を重ね、遠慮し、回り道をして道を譲り、忖度し、
気を遣えば使うほどに際限なく増長した。

そんな理由でもう絵を描く気力が無い。
付け込まれる葛藤と恐怖と怒りがこみあげて来てモチベが無い。
その代わり文章と言う悪意を込められる魔術に手を染めた。

今はこうやって呪いを切り離し、ヘイトを撒いて防御する。
向けられた悪意には反撃する以外ないと思い知ったからだ。
結局はこちらの思いやり、配慮なんてアホの三歳児には理解できないのだ。
ペナルティを発生させ、歯止めをかけて潰す以外に方法はない。
またこれは他のHSPの仲間への援護射撃になる筈だ。

故にこの悪意には生産性があると思っている。

愚者相手には他に手段が無いのだ。


極端に知能が低い連中にはコンプラとか無意味。
惨めな動物相手は気を回して温情をかけた方が割を食うだけ。
めんどくさいが仕方ない。

おしまい。

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