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待てば海路の日和あり

子供たちが小学生のころ、会社ではリストラが始まって、シングルマザーだった私は辞める訳にはいかなくて、ひとりで勝手にそしてコッソリ「すぐやる課」を作り、通常業務はもちろん、突破的に依頼された仕事もできる限り「すぐ」やっていました。

他に取り柄が見当たらなかったので、苦肉の策でした。

仕事内容も、数字とスピードが必要だったのでジャストフィットしたのかもしれません。昔の上司の教えが「早ければ早いほど、間違っていても修正する時間が取れるから重宝だ」という方針だったのもあって、感覚的に身に着けていたようにも思います。

仕事上は、それで良くても、家庭では良くなかったなと、大きな反省をしています。

特に、子供のことは、待ったり寄り添ったりできる時間が必要でした。それを思い出させてくれたのは、長男でした。
不登校になったときに、できるだけ早く帰宅して、食事とお風呂が終わった後で、長男と次男と私の3人で人生ゲームやトランプをしました。
時には、夜のジョギングを一緒にしたり...

何事もなく通り過ぎていたら、経験できなかったかも知れない、濃い思い出になりました。

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今は、母の介護をしていますが、最近の困った事のひとつがテレビのボリュームでして。リビングから引き戸を隔てた和室が母の部屋なのですが、急にドーンと大音量が聞こえてきます。
リモート会議中だったりすると「ビクッ」とします。
夜中にトイレへ行った後も、ドーン

テレビ用の手元スピーカーを置いてあっても急に使い方が分からなくなるらしく、ドーンなんです。泣

それが、ここ最近、手元スピーカーをしっかり使えていて、あら良かったと安心し、ちょうど今日、定期訪問のあったケアマネさんに報告しました。

ケアマネさんの見解では、GW突入前日の大事件がきっかけではないかと。。母本人としては、その事実について全く語らないままではありながら、心の中は「ヤバい」と思っていて、これ以上迷惑をかけてはいけないと思っているので、ほかの事を頑張っているのではないかと。。

起きてしまった失敗を責めてしまうと、隠したりして、もっと大変なことになりがちなので、私としては本人に対しては「黙って」いつも通りにして、聞いてくださる話していい方々に聞いてもらっていました。

その大事件の時、私が必死の思いで後始末を終えたころ、長男が顔を出して絶妙な表情をしていました。きっと香りとかで気づいたのだと思います。
私が簡単に出来事を伝えて「やっとキレイになったところよ」と話すと、これまた絶妙な表情をしてくれました。それは、嫌だなでもなく、困ったねでもなく、勘弁してくれよでもなく、穏やかな『それは大変だったね』と語りかけているような表情でした。
その後「トイレ使ってもいい?」と、ひとこと 笑


この大事件は、過去にも起こっていて、その時の発見者は彼でして
「母さん、においが大変。。」と知らせに来てくれました。


うまくいかなかったことを責められたくない気持ちを、実感としてよく分かることができる、宝物のような孫ではないかと叔母に言われました。


待てば海路の日和あり

つらい日々も
悩んだ事も

いつかきっと好機が訪れる





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