映画の単位って、「回」?「本」?それとも…
日本人の1年間における映画鑑賞本数に関する記事では、鑑賞数の単位を「本」としている。その他の記事やサイトでも、必ず「〇〇本」と表記される。
だが、映画鑑賞本数に拘りのある私からすると、「〇〇本」には、ちょっとした落とし穴がある。
「映画研究者は、最低1000本観るべき」
憧れの先輩の残した言葉だ。先輩を目指して私は、日々映画を鑑賞している。
この時、年間に何本観たのか?また、何を観たのか?を把握するため『記録』というアプリで記録をしている。
ここで重要なのは「過去に試聴済みか、初見か」。
先輩の言葉は、おそらく「観た回数」ではなく「観た作品の数」を表している。
例えば、私が敬愛する本多猪四郎監督の『ガス人間第一号』は、2022年に2回鑑賞した。その同じ年に(個人的には好きだが)観るのに体力が必要とされるアンドレイタルコフスキー監督の『ノスタルジア』は1回だけ鑑賞し、現在に至るまで再視聴をしていない。
それでは、上記の作品を合わせて「何本」とカウントするのか?
私は「観た作品の数」を数えるので「2本」。
しかし、「観た回数」で数えた方は「3本」と答えるかもしれない。
1本の差ではあるかもしれないが、相手と同じ作品数であっても、捉え方が違えば、数に差が生まれる。
そんな落とし穴を埋めるため、私が考えた策がある。
「単位を「本」ではなく「作品」に変えること」
(感覚ではあるが)同じ作品なのに2回視聴したことを「2作品」とは言わないだろう。単位を変えるだけで、数への曖昧さはなくなるのだ!
「そんなことにこだわって何になるんだ」
「『何回?』って聞かれたら回数を答えるけど、『何本?』て聞かれたら作品数を答えるでしょ」
と思ったこともあった。
だが、日々生活している中で、本数や回数など、「単位」への認識はすごく曖昧だと感じる。
ある男が、妻の夕飯の支度を手伝っていると、いつもお箸を入れている棚には、一膳しか入っていなかった。
お箸というのは、二つの棒を合わせて「一膳」とカウントする。
自分を含め家族は4人。三膳足りない。居間に料理を運ぶ妻に、キッチンから声をかける。
「箸、足りないよ」
すると妻は、作業する手を止めず、大きな声で聞いてきた。
「何本?」
本?膳ではなく、本?
妻にとって「一本」とは、箸の片割れのみを指すのか?それとも一膳のことなのか?しかも今必要なのは、三膳。「三本」と言ったら、1.5膳持って来られる可能性だってある。恥をかくと妻はすぐ機嫌が悪くし、食卓が最悪の雰囲気になる。それを未然に防ぐためには、こう言うしかない。
「3セット」
END
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