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知る者ほど分かりやすく伝える、方便によって導く大切さ/仏教

言うものは知らず知る者は言わず

老子の御言葉ですが

ただ単に知っている人は言わないという解釈は

少し浅はかだと思います。


それだと自分だけのもの

自分だけの知識を所有する独りよがりな心です。

何故知る者は言わずなのかと言えば

真実をそのまま伝えても
相手が理解出来ないからです
この言葉の本質は相手の理解度に合わせ
伝える方法や話し方を柔軟に変えていく

ということではないかと思うのです。


お釈迦様はこの世の真理を悟られた時に

この真理をみんなが理解することは出来ない

伝えたらむしろ反発し真理から遠ざかってしまう

そう思い説くことを辞めようとされました。


その時 諸天善神が是非この世の人の為に

説いてくださいと懇願されます。

その後何十キロと歩きながら悩まれ

皆が理解出来るようにその人に合わせて

説いていこうと悟られます。


これを方便と言います。

方便とは正しい手段という意味です。



この老子の御言葉はお釈迦様の方便と

何ら変わり無いと思うのです。

万教同根という言葉がありますが 万億の教えが

あるけれど真理は1つという意味です。

誰であろうがどんな宗教だろうが

真理は1つです。


その真理と心がピタッと合う事が大切なのです。

そこがしっかり合っていればどんな宗教だろうが

どんな宗派だろうがどんな国籍だろうが

関係ありません。

争いが起きることもなくなります。


この世の真理の通りに生き心穏やかに元気に

明るく平和に生きていくそれが宗教の根源です

なのにその宗教同士 宗派で争うというのは

本末転倒です。


どれだけの信者数だとか

寄付はどれだけしたかとか

どんな役職なのかとか

そんな事はどうでも良い事です。


そんなものにひれ伏し迎合したり

組織を守るのに必死な団体など

もはや宗教ではありません


そうやって思い上がり

感謝がなくなる者を増上慢と言うのです。



知る者は己だけに納めるのではなく

知る者ほどお釈迦様の様に

真理を咀嚼しどんな人にでもお伝えし

理解してもらい幸せになってもらえるよう

精進していくのが

宗教家、信仰者の使命ではないでしょうか。

いま一度立ち返る時です。



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