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HSPは甘えなのか?について語ります!(3400字)


ここ数年で、HSPという、感受性が鋭く刺激に敏感な人、という概念が広まりました。



検索ワードでHSPを検索すると、続けてHSP 甘え という候補が出てきます。



私も自身をHSPと表明してブログ運営をも行っているので、参考にしたいと思い調べてみました。


・HSPって何ですか?ただの甘えですよね?
・HSPは甘え。逃げ癖がある


といった意見の数々…(^▽^;)



これらの意見を聞いて、HSPである私の考えをお話ししたいと思います。


HSPって甘え?という疑問について



まず結論を言います。



HSPは、甘えだと私も思います。


もう一度言います。


HSPの私は、HSPを甘えだと思います。


…この文章を読んで、


「いや、甘えじゃないでしょ!」
「今まで辛かった事も多いのに、何で甘えなんて言えるんだ!」


そんな意見の方も多くいらっしゃると思います。



ただ、この私の意見は、HSP=甘え=だからやめろ、と言っているわけではありません。



あくまで私の一意見であり、HSPという概念には私自身も過去に救われた経験があります。
決してHSPを否定するつもりはなく、そして誤解のないように言っておきます。



HSPは、繊細な人が生きていく上で「必要な甘え」だと、私は思います。



どういうことか、詳しくお話しさせてください。


HSPが広まっていなかった時代



HSPの特性に、繊細、物事を深く考える、相手の気持ちを考えすぎる…といった例があります。


これって、HSPが世に広まる前は、どんな風に考えられていたんでしょうか?



私は子供の頃、母親によくこう言われていました。



母「あんたは神経質やね~。」



神経質、です。HSPではなく神経質。





何か悪いものでも見たように言われた事が、今でも忘れられません。



その神経質な子供が、人の役に立つ仕事がしたいと医療職を目指し、就職して働く中でこんな悩みが出てきます。


私「自分は打たれ弱い。だから、もっと心を鍛えないと。」



そして、自己啓発本を読み漁り、多少辛い事があっても見て見ぬふりをし、自分の心を鍛えようと頑張ってきました。


周りの人は全然辛そうじゃないのに、自分だけ辛いのが異常。
自分の心が弱いから、鍛えたら何とかなると思っていたからです。



そうやって自己啓発本の沼につかっていた私が、HSPという概念に出逢ったのは数年前。



本を読み漁る私「これか!これだったんだ!私はこういう特性があったんだ!」


いくら探しても見つからなかった自分、というものがやっと見つかった!という高揚した気分とは裏腹に、


「…ってことは、この特性と一生付き合っていかないといけないの?」という絶望感でした。
私「じゃあ、本読んでも無駄じゃん。」


と、心を鍛えるワークはこれをきっかけに終了しました
(ただ、今でも自己啓発本は息抜き程度に読んでいます!)


HSPは必要な甘え、という理由




冒頭、HSPは必要な甘えとお話ししましたが、そう考える理由は2つあります。



ひとつは、今までが大変だったから多少甘えても良いよね?という理由。



2つめは、HSPという概念がある事によって、自分の環境についてその都度見直す事が出来、生きづらさを抱える方が減るからです



先ほどお話ししたように、HSPの人は「神経質」「細かく考えすぎ」と、それが悪であるかのように言われてきた経験を持つ方も多いと思います。



今考えると、どれもその人にとっての個性でしかないのですが、時代の影響もあるのでしょう。


これまで悩んできた方が、HSPという概念を知り、それを公にすることで、余りよく思わない方ももちろんいると思います。


HSPでない方は、「何なんHSPって。繊細って。あの人だけずるい。」
「自己中過ぎ。」


伝え方によっては、そう思われても仕方ありません。


ただ、これまで苦しんできた分、これからは少し周りに甘えても良いよね?という考えがあっても良いと、思うのです。



そして2つ目の理由について。



私自身、HSPという概念が広まる前は、神経質、クヨクヨ考えすぎ、と言われっぱなしで、「じゃあ心を強くしよう!(闘魂)」と、自己啓発本を読み漁り、仕事で無理をするという、間違った努力を続けていました。


ですが、HSPさんが生きづらさを取り除くには、自分自身をどうにかしようとするよりも、環境を変える事が大きな効果があると、気づきました。





「HSPだからこういう状況が苦手、だったら事前にこうして、もしこうなってもしょうがないからあんまり悩まないようにしよう。」


と、解決の糸口(環境を調整する)を見つける事が習慣になりました。



神経質だから悩むな!細かい事は気にするな!が出来なかった私にとって、HSPを知ってから、自己肯定感は上がり、むしろ原因不明の生きづらさを感じる事はどんどん減っていきました。



もちろん、HSPに限らず、少なからず生きづらさを抱えて生活している方は多いです。


ですが、HSPを知って救われた、というHSPさんも多いのではないでしょうか?



HSPという概念は、生きづらさを抱えた方が、生きづらさを減らすための正しい方法を教えてくれます。



なので、HSPという概念は、甘えでもあり、必要な考え方、つまり、必要な甘えだと私は思います。


HSPの甘えを利用するものたち



最近、こんな本を読みました。



HSPを利用して、悪徳なビジネスも中にはあるとのこと。



私もHSPをテーマにブログをしているので、自分の発信内容がそのようなビジネスになってしまっていないか、注意しています。



HSPをいう特性を誇張して、様々な問題が起きている事もあるようです。



確かに、HSPは診断テストで自分でも判断出来てしまうものなので、私を含め多くの方が自称HSP。


HSPでない方からすると、理解に苦しむかもしれません。



この本の口コミには、「HSPの方は読まない方が良い。」という意見もありましたが、自分のこと、HSPの事を客観的に知り、怪しいビジネスに引っかからないためにはむしろ一読をおススメします。


終わりに HSPと捻挫の共通点



ここまで、HSPは必要な甘えであるとお話ししてきました。


最後に、HSPと捻挫の共通点、というお話をさせてください。




なぜ、捻挫なのか?急で申し訳ないのですが(笑)

私が捻挫を身近に感じているからです(^^;;
捻挫って、繰り返すのですが、周りからは分かりにくいです。



初めての捻挫は、テニスをしていて派手にずっこけた時。



その時必要な処置をしなかったので、それ以来私の左足は右に比べてゆるゆるです。



その為、思わぬとこで段差!着地失敗!という事があると、軽くグきっと響きます(心臓に悪い)



ついこの前も、仕事中にそのグきっとが出てしまい、ゆるゆるが再発…。
幸い軽傷ながらも、足の違和感を感じながら生活していると、目の前の事に集中出来ないので今日はサポーターを履いて出勤しました。



そうすると、全然違和感がないんです。



守られているという安心感もあり、仕事に集中できます。
でも、仕事中、私の捻挫に気づいているのは私だけです。



私が自ら「捻挫です!ちょっと違和感があります!でも根性で何とかします!」と言っても、「いや、歩けてるじゃん。」「全然そんな風に見えない。」「それで良いじゃん。」「いや、頑張ってるアピール?」で終わりますよね。


でも実際、働きづらさは解消されてないですよね?



ここでサポーターをつけてみると…周りからは見えないけど、とっても働きやすくなった。


捻挫をしているからって、誰に言う必要もありません。


だって、サポーターしてたら働きやすくなったんだし、自分が納得しているからそれで良い。



捻挫は根性でどうにかなるものではありません(むしろ動かし過ぎて悪化したら最悪です)


ですが、ズボンの下にサポーターをつける、という環境を整えるだけで、別に誰に言う必要もなく、働きやすくなるんです。


HSPと捻挫の共通点は、

・黙っていれば誰からも分からない
・絶対に分かってもらう必要性もない
・根性論じゃなくて、環境を変えてみる事がカギ

という事です。


ただ、分かってもらうために主張しよう!周りになんとか工夫してもらおう!これも絶対の正解ではないと思います
(ただ、捻挫は重症の場合はしっかり主張して病院に行きましょう、笑)


HSPも繰り返す捻挫も、私が思うベターは「黙ってても良いから、自ら環境を変える工夫をしよう」ということです。


そのうえで、どうにもならなかったら主張してみる。


HSPを多くの方に知ってもらうのも大切ですが、HSPだからこんな工夫をして、こんな行動をしている。
そういった姿も発信していく事はもっと大切だと思います。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!(^^)!

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