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奇跡講座、ヌーソロジー、日月神示などを参照していますが、基本的に自己流です。アメブロは…

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奇跡講座、ヌーソロジー、日月神示などを参照していますが、基本的に自己流です。アメブロはhttps://ameblo.jp/kyukyubako/ 鉄道ダイヤグラムはhttps://note.com/traindiagram/

最近の記事

人として一人一人と関わると、確かに「最近の若い人」「頑固な大人」という感じではない、というのは分かる一方、しかし世代間の差は感じるしなあと思いましたが、たぶんそれ、相手の意識へのフォーカスが内惑星かトランスサタニアンかの違いですね。 https://www.lettuceclub.net/news/article/1197729/

    • トラウマ状況を「裏読み」する

      具体的なことはプライバシーにかかわるので控えますが、どうしても折り合いのつかない人から立て続けに届く、嫌がらせとしか思えないメッセージに関して、これ、つまり、もうその人とは関わらない方がいいと、その人ご自身がこちらに伝えてきているようなものだと、ふと感じたんですね。 つまり、直接間接の嫌がらせは、その人が「あなたはもう私と関わらなくてもいい」とか「あなたは私に関わらず自分の道を生きるべきだ」とか、といったようにその人自身が伝えてきているようなものだ、ということです。 もち

      • スピリチュアルは結局、「大人になろう」の一言に集約されるようだ。 奇跡講座が嫌われるのは、このことにいきなり直面させられるからなのだろう。 ただし現世のイエスは人としては未熟だったため、奇跡講座の学習実践は「青春病院」の様を呈する。 また、OCOTは「霊的童貞」の域を出ていない。

        • 今の政治社会の動きは、言わば「巻き上げられていく緞帳」を見ているようなものでしょう。 例えば、以下の代わりにピカソの「ゲルニカ」が描かれている緞帳のようなものです。 https://www.city.hirosaki.aomori.jp/shiminkaikan/dontyou-kaisetu.html

        人として一人一人と関わると、確かに「最近の若い人」「頑固な大人」という感じではない、というのは分かる一方、しかし世代間の差は感じるしなあと思いましたが、たぶんそれ、相手の意識へのフォーカスが内惑星かトランスサタニアンかの違いですね。 https://www.lettuceclub.net/news/article/1197729/

        • トラウマ状況を「裏読み」する

        • スピリチュアルは結局、「大人になろう」の一言に集約されるようだ。 奇跡講座が嫌われるのは、このことにいきなり直面させられるからなのだろう。 ただし現世のイエスは人としては未熟だったため、奇跡講座の学習実践は「青春病院」の様を呈する。 また、OCOTは「霊的童貞」の域を出ていない。

        • 今の政治社会の動きは、言わば「巻き上げられていく緞帳」を見ているようなものでしょう。 例えば、以下の代わりにピカソの「ゲルニカ」が描かれている緞帳のようなものです。 https://www.city.hirosaki.aomori.jp/shiminkaikan/dontyou-kaisetu.html

          改憲に賛成か反対かどちらでもないか

          改憲賛成派の「主張」としてはおそらく、例えばですが、「こうしたことは現に、世界中のいたるところで起きている。日本だけ平和憲法に固執するのは、結果として「自分さえよければいい」というわがままであり、世界情勢に対して「我関せず」を決め込むことだ。だから改憲は必要だ」かもですね。 改憲に賛成か反対か、という議論に決着がつかないことは、カントが二律背反ということで指摘していますが、だからこそカントは、それを踏まえた上での「永遠平和」というビジョンについて構想を練ったのかもですが。

          改憲に賛成か反対かどちらでもないか

          大化けする「悩める青年」

          ま、ほぼブログのリンクですが。 国之常立神:争いを望むカルマとアセンション | ピロ魂!(ぴろたま) (ameblo.jp) たぶん、イエスもこんな感じだったんじゃないかなという気がしました。 つか、ブッダなんかはもろにこれでしたしね。 というわけで、「青年よ、大いに悩め」なんですが、そのままだと次第に腐って落ちぶれていきますから、適当なところで交替化しましょう(笑)。 ちなみに、「人類総おちぶれ」の懸念から、奇跡講座もOCOT情報も降りてきたわけですが、あれらは「

          大化けする「悩める青年」

          ペンでこすった聖霊降臨、あるいは「言語依存症」からの脱却の必要性

          タイトルはわかりにくいので説明しますと、昨日(5月19日)は、2024年の聖霊降臨祭だったらしいんですが、聖霊降臨祭は「ペンテコステ」というんですね。 で、「いくらペンでこすっても聖霊は降臨しませんね」というダジャレを思いついたことがありまして。 あ、つまり、頭の中で考えた言葉を、紙をペンでこする、つまり書くことによっては、そこに聖霊の思考は宿らないよ、という、大変ふかい(深いんですがプライドの程度によっては不快ですね)ダジャレだったりしますm(_ _)m ちなみに、「

          ペンでこすった聖霊降臨、あるいは「言語依存症」からの脱却の必要性

          NOSからNOOSになることは、GODがGOODと言うような。 最後の審判=ビッグバン≒真実の生の始まり。 イカれると「このタコ」扱いされますが、つつかれてもエビデンスはないのでエビ出んす、「私は下位(貝)になりたい」かも~。 最下品(げぼん) 一周回って 最上品(じょうぼん)

          NOSからNOOSになることは、GODがGOODと言うような。 最後の審判=ビッグバン≒真実の生の始まり。 イカれると「このタコ」扱いされますが、つつかれてもエビデンスはないのでエビ出んす、「私は下位(貝)になりたい」かも~。 最下品(げぼん) 一周回って 最上品(じょうぼん)

          これは要するに、ペルシャ系の霊団とインド・アーリア系の霊団との「仲たがい」の痕跡ですかね。 つまりお互いに、「私は悪くない、悪いのはあなただ」と言いたかっただけだったと。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AF

          これは要するに、ペルシャ系の霊団とインド・アーリア系の霊団との「仲たがい」の痕跡ですかね。 つまりお互いに、「私は悪くない、悪いのはあなただ」と言いたかっただけだったと。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AF

          よく、例えば「日本人の意識はお花畑」みたいな表現が批判的な文脈で用いられることがあるが、アストラル界はお花畑に喩えられることがあるので、あのままでは「日本人の意識はアストラル界にある」と言っているようなことになり、そのどこがよくないのかがわからなくなることがある。

          よく、例えば「日本人の意識はお花畑」みたいな表現が批判的な文脈で用いられることがあるが、アストラル界はお花畑に喩えられることがあるので、あのままでは「日本人の意識はアストラル界にある」と言っているようなことになり、そのどこがよくないのかがわからなくなることがある。

          4月15日

          先日、見切り品の柑橘類を買ったが、何となく放置していたら、表面が一部、腐ってきた。 しかし、そのまま捨てるのは何だからと、試しに切ってみたら、中は大丈夫だったのでそのまま食べた。 「これはもうだめだ」という感じがあったとしても、実際には意外に大丈夫なことがあるようだ。 現実と空想や想像との境目が曖昧になりつつあるようだ。 眼前に広がる現実だと見えているものも、実のところ、何か壮大なる「他者なるもの」によって所与された信念の総計を目視しているにすぎない。 それはまた、

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          時代は精神科より「say 進化」で m(_ _)m

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          2024年4月5日

          今日はATMでお金を下ろそうとしたが、複数並んでいるうち1台が空いていると思って急接近して操作した。 しかし、どうやら順番待ちで並んでいるっぽい人がいたが、違う方を向いて何やらごそごそしていたので、あの人は並んでいるわけではないと勝手に思ってさっさと操作した。 で、ATMから離れるときに、そのごそごしていた人が、私が操作していたATMに向かって歩き始めたので、しまったと思ったが、しかし足は急速にその場を離れるモードになっていたので、「あーっ、しまったー」と内心思いつつ、外

          2024年4月5日

          しかし面白い

          (4月1日に大量に加筆しました) というか、面白いURLを思いついたので、もうnoteはやめとこうと思っていたのに、結局また登録しましたが。 しかし、登録時に勧められたURLを見たら噴いたので、こちらにしました。 「super lily」ってあんた、もしかして図ってるでしょ、みたいな(笑)。 このことが書かれているテキストは、棕櫚の主日に関する言及ですが、調べてみたら今年は3月24日だったんですね。 で、そこから一週間の聖週間が明けたのが今日、3月30日(執筆当時)

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